手術を終え、日常に戻り始めた頃のことだった。
「無理しないでくださいね」
「焦らず、ゆっくりでいいですよ」
「気持ちの問題も大きいと思いますよ」
周囲は、善意で声をかけてくれていた。
敵意はない。むしろ、優しさのつもりだったと思う。
それでもある日、
その言葉たちが、まったく届かなくなった瞬間があった。
それまでは、ちゃんと受け取れていた
病気になる前、私はこうした言葉を
「正しいアドバイス」だと思っていた。
体調が悪い人がいれば、
・無理しない
・前向きに考える
・時間が解決する
そう声をかけることが“大人の対応”だと信じていた。
実際、自分が手術を受けた直後もしばらくは違った。
「きっと良くなる」
「今は回復期だから」
その言葉に、何度も自分を支えてもらった。
だからこそ、
ある瞬間までは、健康な人の言葉はちゃんと届いていた。
体が先に現実を突きつけてくる
変わったのは、回復が思ったように進まなかった頃だ。
痛みが残る。
朝、体が痛みで動かない日がある。
調子が良いと思っても、午後には一気に崩れる。
数字や検査・医学的には「問題なし」と言われる。
でも、生活は確実に制限されていた。
そのズレが、少しずつ積み重なっていった。
「無理しないで」という言葉は、
“もう十分無理していない現実”を見落としたまま投げられてくる。
「焦らなくていい」という言葉は、
生活が止まる不安を抱えた人間には、あまりに軽かった。
届かなくなった、その瞬間
ある日、
何気ない一言を聞いたときだった。
「でも、見た目は元気そうですよね」
その瞬間、
頭ではなく、体の奥が冷えた。
説明する気力も湧かなかった。
怒りでも、悲しみでもない。
ただ、
この人の言葉は、もう自分のいる場所には届かない
そう、はっきり分かった。
それは相手が悪いからではない。
価値観の違いでもない。
立っている地面が、完全に違ってしまっただけだった。
健康な人の言葉が悪いわけではない
誤解してほしくない。
健康な人の言葉は、
無神経でも、冷酷でもないことがほとんどだ。
ただ、
「痛みが日常にある世界」
「回復が直線ではない世界」
を、知らないだけです。
知らない世界の言葉は、
悪意がなくても、届かないことがある。
それは、想像力の問題ではなく、
経験の差なのだと思う。
届く言葉は、静かだった
逆に、心に残った言葉はとても少ない。
「今日は、どうですか」
「それ、しんどいですね」
「無理に答えなくていいですよ」
アドバイスでも、励ましでもない。
評価も、解決策もない。
ただ、
今の状態を否定しない言葉だった。
その言葉だけは、
今も静かに残っている。
自分も、かつては“健康な側”だった
この経験で、一番痛感したのはここだ。
自分もまた、
知らずに言葉を投げていた側だったという事実。
だから、恥ずかしさもある。
後悔もある。
同時に、
人は立場が変わらなければ、
どうしても分からないことがあるのだと理解した。
言葉が届かなくなったことは、終わりではない
健康な人の言葉が届かなくなったからといって、
世界が閉じるわけではなかった。
むしろ、
自分に届く言葉を、
慎重に選ぶようになった。
無理に分かってもらおうとしない。
説明できない自分を責めない。
その距離感を覚えたことで、
少しだけ、呼吸が楽になった。
最後に
もし今、
誰かの言葉が急に遠く感じたなら。
それは、
あなたが弱くなったからではない。
立っている場所が変わっただけだ。
届かない言葉を無理に受け取らなくてもいい。
届く言葉は、ちゃんと別の形で現れる。
静かで、派手ではなく、
でも確かに、支えになる言葉として。
