この記事は、
今日の生活や判断の変化を支えている
前提そのものを整理した記録です。
これは、病気の体験談から始まった話です。
ただし、病気そのものを語りたいわけではありません。
病気をきっかけに変わったのは、
考え方でも、価値観でもなく、
「判断のしかた」でした。
何を正しいと感じるか。
どこで立ち止まるか。
何を選び、何を選ばないか。
このサイトで書いてきた多くの記事は、
一見すると、病気の話、働き方の話、回復の話、
あるいは時間の話に見えるかもしれません。
けれど根っこでは、
すべて 「判断がどう変わったか」 という一点につながっています。
この記事は、その判断軸をまとめて言語化したものです。
病気で「正しい判断」が使えなくなった
病気になる前、
私の判断基準はかなりシンプルでした。
- 一般的に正しいか
- 効率がいいか
- 期待に応えられるか
- 将来につながるか
いわば、
外部に用意された物差しで判断していたのだと思います。
ところが病気をきっかけに、
その物差しが、ある日突然使えなくなりました。
体調が不安定で、
予定通りに動けない。
頑張っても、結果が出るとは限らない。
「正しいはずの選択」をしているのに、
体と生活がついてこない。
間違えたわけではないのに、
機能しなくなった。
この感覚は、
後から振り返るととても重要でした。
判断力が落ちたのではなく、
前提条件が変わっただけだったのだと、
今は思っています。
働き方が変わったのではなく、判断の順番が変わった
よく「病気をきっかけに働き方が変わった」と言われます。
それ自体は間違いではありません。
ただ、私自身の感覚では、
働き方が変わったというより、
判断の順番が入れ替わったという方が近いです。
以前は、
- 何が正しいか
- 何が効率的か
- それに自分を合わせる
という順番で考えていました。
病気以降は、
- 今の体で続けられるか
- 生活が破綻しないか
- その上で何を選ぶか
という順番に変わりました。
仕事の形が変わったのは、
その結果にすぎません。
ここで大切なのは、
会社員か、フリーランスか、
どちらが正解かという話ではありません。
判断の起点がどこにあるか
それが変わった、という話です。
時間は「回復」ではなく「制約」になった
病気のあと、
時間の感覚も大きく変わりました。
回復は、一直線には進みませんでした。
良くなったと思ったら戻る。
できたと思ったら、次の日はできない。
時間があれば解決する、
という感覚が通用しなくなったのです。
時間は味方ではなく、
制約条件になりました。
・回復には波がある
・先の見通しが立たない
・短期の成果が当てにならない
この状況では、
短期最適の判断はほぼ意味を持ちません。
「今だけ頑張る」
「一度無理をする」
そういった判断が、
後で必ずツケとして返ってくる。
時間をどう使うか、ではなく、
どんな時間の流れを前提に判断するか
そこが変わっていきました。
判断基準は「正解」から「持続性」に変わった
こうした変化を経て、
私の判断基準は少しずつ変わっていきました。
- 正しいかどうか
→ 続けられるかどうか - 成功しそうか
→ 壊れないか - 評価されるか
→ 生活が維持できるか
これは妥協でも、後退でもありません。
むしろ、
長期で生きるための判断に近づいた感覚があります。
体力は無限ではない。
時間も、気力も、集中力も限られている。
その現実を無視しない判断。
派手さはありませんが、
少なくとも、自分の生活は壊れにくくなりました。
この判断は、誰にでも当てはまるわけではない
ここまで読んで、
違和感を覚える方もいるかもしれません。
もっと挑戦したい。
もっと上を目指したい。
限界を決めたくない。
そう感じるのも自然だと思います。
この判断軸は、
病気や制約を経験した中で
私自身が必要になったものです。
万能ではありませんし、
誰かに押し付けたいとも思っていません。
ただ、
同じように「以前の判断が使えなくなった」と感じた人には、
ひとつの参考にはなるかもしれません。
おわりに
このサイトで語っているのは「答え」ではない
このサイトでは、
明確な答えや、再現性のある成功法則は提示していません。
代わりに書いているのは、
判断が揺れた過程と、
判断が変わっていった記録です。
状況が変われば、
判断も変わります。
だから私は、
結論を固定しないまま書き続けています。
ここから先の記事は、
すべてこの判断軸の延長線上にあります。
どこか一つでも、
自分の判断を見直すきっかけになれば、
それで十分だと思っています。
