病気になる前の自分は、
今振り返っても、
他人の人生に積極的に口を出すタイプではなかったと思います。
聞かれれば意見は言う。
親しい人であれば、
気になったことをそのまま伝えることもある。
けれど、
関係性のない人の懐に
土足で踏み込むようなことは、
してこなかったつもりです。
ただ一方で、
心の中で何かを感じたり、
考えたりすることは、確かにありました。
そして病気を経験してから、
その「考え方の置きどころ」が、
少し変わった気がしています。
間が生まれた、という変化
病気をしてから、
他人の人生に対して、
自分の考えを差し出す前に、
少し間を置くようになりました。
何かを言わなくなった、
というよりも、
すぐに判断しなくなった、
という感覚に近いかもしれません。
以前なら、
頭の中で自然に浮かんでいた
「こうした方がいいのでは」という考えを、
そのまま前に出していた場面でも、
今は、
一度その考えを手元に置くようになりました。
自分の選択が、外からは見えなかった
この変化の背景には、
自分自身の経験があります。
病気の治療や回復の過程では、
外から見れば分かりにくい選択を
いくつも重ねてきました。
今日は無理をしない、という判断。
あえて進まない、という選択。
説明する余裕すら持たない、という決断。
どれも、
外から見れば「消極的」に見えたかもしれません。
でも、自分の中では、
そのとき考えられる限りの
現実的な選択でした。
その経験を通して、
強く実感したことがあります。
人の選択は、
外から見えている情報だけでは、
ほとんど分からない。
正しさではなく、前提の違い
以前の自分は、
強い正義感を持っていたわけではありません。
ただ、
自分が見えている範囲の話を、
そのまま言葉にしていただけでした。
それが、
誰かの役に立つこともあれば、
そうでないこともある。
病気を経験して分かったのは、
正しさの問題というより、
前提がそれぞれ違うということでした。
体調。
時間。
家庭。
仕事。
心の余裕。
それらが違えば、
同じ言葉でも、
意味はまったく変わってしまいます。
口を出さなくなった、というより
だから今は、
何かを言わないことを
意識しているわけではありません。
聞かれれば話します。
求められれば、考えを伝えます。
ただ、
その前に立ち止まるようになりました。
それは、
距離を取るというより、
相手の人生を、その人のものとして扱う
という感覚に近いと思います。
病気がくれた、人生との距離感
病気は、
何かを教えようとして
起きたわけではありません。
けれど結果的に、
人生との向き合い方や、
他人との距離感を、
少し変えてくれました。
自分が、
見えない部分を多く抱えながら
生きるようになったからこそ、
他人の人生にも、
同じように見えない背景があることを、
以前より自然に受け取れるようになった。
それだけのことかもしれません。
おわりに
今でも、
誰かの選択を見て、
何かを感じることはあります。
ただそのとき、
すぐに言葉にするのではなく、
一度、間を置く。
その間があるだけで、
人との関係は、
ずいぶん穏やかになる気がしています。
病気を通して得たこの距離感は、
自分にとって、
静かな変化でした。
そして、
今の自分には、
ちょうどいい変化だったと思っています。
