回復しなかった身体と、諦めたわけではない人生

回復した、とは言えません。

治療は終わった。
生活はできている。
けれど、以前と同じ身体ではありません。

この記事は、
「回復した話」でも
「乗り越えた話」でもありません。

回復しなかった身体とともに、
それでも人生を続けている、
その途中の記録です。


回復しなかった、という事実

病気になったあと、
多くの人は「回復」を前提に話します。

元に戻ること。
以前と同じようにできること。
そこをゴールとして描く言葉が、あまりにも多い。

けれど現実には、
そうならないケースもあります。

命は助かった。
日常生活も送れている。
それでも、以前の自分とは違う。

回復しなかった。
期待していた形では、戻らなかった。

これは、感情の話ではありません。
ただの事実です。

この事実をどう扱うかで、
その後の人生の感触は大きく変わります。


「諦めた人生」だと思われやすい場所

身体が元に戻らなかった場合、
周囲からは、こんなふうに見られがちです。

・思うように働けなくなった
・行動範囲が狭くなった
・以前より慎重になった

それは、
「諦めたように見える」状態かもしれません。

実際、自分自身でも、
そう感じる時期はありました。

できないことが増えるたびに、
選択肢が削られていく感覚があったからです。

でも、時間が経って、
少しずつ違う見方ができるようになりました。


人生は「回復」だけで進まない

人生が前に進む方法は、
回復だけではありません。

元に戻ることが前進なら、
戻れなかった人の人生は止まったままになります。

でも、実際には止まりません。

身体は戻らなくても、
時間は進み、
判断は積み重なり、
選択は続いていきます。

そこに必要だったのは、
回復を待つことではなく、
前提を切り替えることでした。


再設計という考え方

ここで、
「再設計」という言葉が現実味を持ちました。

回復は、過去を基準にします。
再設計は、今の状態を基準にします。

・この身体で
・この制約を含んだまま
・どの負荷なら続けられるか

問いの向きが変わると、
判断の質も変わっていきます。

以前の基準を握り続けるほど、
現実とのズレは大きくなります。

基準を今に置き直したとき、
初めて「選び直す余地」が見えてきました。


諦めたものと、諦めていないもの

確かに、諦めたものはあります。

・以前と同じ働き方
・無理を前提にした行動
・頑張れば何とかなる、という発想

でも、それと引き換えに、
諦めなかったものもあります。

・人生を続けること
・考え続けること
・形を変えて関わり続けること

諦めたのは、方法であって、
人生そのものではありません。

この違いは、外からは分かりにくい。
でも、内側の感覚はまったく違います。


回復しなかった人にしか持てない視点

回復しなかったからこそ、
見えるようになったものがあります。

・「正解」を探し続ける危うさ
・無理が美徳として語られる構造
・戻ることを前提にした制度や働き方

これらを、
少し引いた位置から見ることができるようになりました。

それは、強さでも成功でもありません。
ただ、別の視点を持ったというだけです。


まだ途中にいるという前提

この話には、結論はありません。

再設計は一度で終わるものではなく、
身体の状態や環境に応じて、
何度も見直されるものだからです。

回復しなかった身体。
それでも続いている人生。

この二つは、矛盾しません。

諦めなかったから前に進めた、
という綺麗な物語でもありません。

ただ、
止まらない形を探し続けている
それだけです。

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この記事を書いた人

会計事務所、事業会社で税務・経理の仕事に従事していました。
40代で脊髄腫瘍になり、手術・リハビリをしつつ、現在はフリーランスで仕事をしています。