病気になってから、
私は働き方や生き方について、
いろいろ考えるようになりました。
「壊れずに続ける」
「無理しない働き方」
「体調を前提に生きる」
今はそういうことをよく考えています。
でも、昔の私は、
そうではありませんでした。
むしろ逆で、
「多少無理してでも頑張る」
ことを、
どこか“正しいこと”
だと思っていた気がします。
実際、
40代になるまでの私は、
かなり無理をしながら働いていました。
ただ当時は、
自分がそこまで危ない状態だとは、
思っていなかったんですよね。
いや、
正確に言うと、
“思わないようにしていた”
のかもしれません。
今日は、
病気になった“あと”ではなく、
病気になる“前”、
私はどうやって自分の違和感を後回しにしていたのか。
そして、
なぜ人は壊れる直前まで、
「まだ大丈夫」
と思ってしまうのかについて、
書いてみたいと思います。
「まだ頑張れる」は、本当に“頑張れる”状態なのか
以前の私は、
かなり典型的な“頑張る側”の人間だったと思います。
真面目に働く。
責任を持つ。
期待に応える。
周りに迷惑をかけない。
多少無理してでもやり切る。
会計事務所や企業経理で働いていた頃も、
そういう感覚で働いていました。
忙しいのは当たり前。
残業も普通。
疲れていてもやる。
みんな頑張っている。
だから自分も頑張る。
当時は、
それをそこまで疑っていなかったんですよね。
もちろん、
しんどい日はありました。
疲れている感覚もあった。
「このままでいいんだろうか」
そんな違和感も、
どこかにはありました。
でも、
その感覚を深く考えないようにしていました。
なぜなら、
立ち止まる方が怖かったからです。
忙しさは、“考えない理由”にもなる
今振り返ると、
当時の私は、
かなり忙しく生きていました。
毎日やることがある。
次の仕事が来る。
終わったと思ったら、
また別の仕事。
気づけば一日が終わっている。
当時は、
「忙しい=前に進んでいる」
そんな感覚もありました。
でも今思うと、
忙しくしている時って、
自分と向き合っているようで、
実は全然向き合えていなかったんですよね。
本当は疲れていた。
無理もしていた。
違和感もあった。
でも、
次の仕事。
次の予定。
次のやること。
それを入れ続けることで、
“考えないようにしていた”
部分もあったんだと思います。
人って、
本当に危ない時ほど、
立ち止まれなくなることがあります。
止まると、
自分の本音が見えてしまうからです。
「この働き方、もう限界なんじゃないか」
「本当はかなり無理してるんじゃないか」
「このまま続けて大丈夫なのか」
そういう感覚を、
見ないようにするために、
逆に忙しくしてしまう。
今振り返ると、
当時の私は、
かなりその状態に近かった気がします。
違和感の正体は、「仕事」ではなく「ズレ」だった
当時の私は、経理の仕事そのものが嫌だったわけではありません。
むしろ数字を見ることや、業務改善を考えることは好きでした。
会社員時代には、DXや業務効率化にも強い関心がありました。
ただ、私が考えていた改善と、会社が求めていた改善には少しズレがあったんです。
会社からは、
「効率化してほしい」
と言われます。
でも実際には、一部の作業を見直したり、目の前の業務を少し改善するような話が多かった。
もちろん、それも大切なことです。
ただ私は、
部署をまたいだ業務全体の流れや、仕組みそのものを見直した方が良いのではないか。
そう考えていました。
今まで手作業で行っている業務。
担当者ごとにやり方が違う業務。
部署間で重複している作業。
そういったものを整理し、もっとシンプルな仕組みに変えられないか。
本当に会社にとって必要なのは、過去の数字を集計することだけではなく、未来を見据えた仕組みづくりなのではないか。
そんなことを考えていました。
ただ、それを実現するには時間が必要です。
複数部署との調整も必要です。
何より会社全体として、その必要性を感じてもらわなければ動きません。
でも現実には、日々の業務に追われます。
決算もある。
締め切りもある。
目の前の仕事は待ってくれません。
私自身、自分が考えていることの必要性は感じていました。
でも一方で、それは財務会計の本来業務から少し外れたことでもありました。
本当にやりたいこと。
実際に求められていること。
その間に少しずつズレが生まれていったように思います。
今振り返ると、そのズレこそが、当時感じていた違和感の正体だったのかもしれません。
真面目な人ほど、自分を後回しにしてしまう
これは病気を経験してから強く感じたことなんですが、
無理してしまう人って、
“弱い人”
ではないんですよね。
むしろ逆で、
責任感が強い人。
真面目な人。
頑張れる人。
周囲に合わせられる人。
そういう人ほど、
自分の限界を後回しにしてしまうことがあります。
以前の私は、
「多少無理してでもやる」
ことを、
ある意味“強さ”
だと思っていました。
でも病気になってから、
その考え方はかなり変わりました。
なぜなら、
一度壊れると、
元に戻るのは簡単ではないからです。
「普通に働ける」は、当たり前じゃなかった
会社を辞めた数カ月後、
私は脊髄腫瘍が見つかりました。
もちろん、
病気の原因が働き方だったとは思っていません。
ただ、
病気になって初めて、
「あの頃、自分はかなり無理していたんだな」
と気づいた部分はありました。
手術。
入院。
リハビリ。
術後の痛み。
薬の副作用。
長時間座ることすら辛い日もある。
以前は当たり前だったことが、
当たり前じゃなくなりました。
特に辛かったのは、
「働きたい気持ちはあるのに、体がついてこない」
ことでした。
そしてその時、
初めて気づいたんです。
自分はずっと、
「今の状態が続く」
ことを前提に生きていたんだなと。
でも人生って、
本当に何が起こるか分からない。
病気。
介護。
メンタル不調。
家庭環境の変化。
事故。
加齢。
人はある日突然、
“今まで通り”
ではいられなくなることがあります。
それなのに多くの場合、
社会は、
「以前と同じように動けること」
を前提に作られている。
だから、
壊れてから初めて、
「無理していた」
と気づく人も多いんですよね。
「壊れないこと」は、逃げではなかった
以前の私は、
もっと頑張る。
もっと成果を出す。
もっと前へ進む。
そういう感覚で生きていました。
でも今は、
少し考え方が変わりました。
もちろん、
頑張ること自体が悪いとは思っていません。
ただ、
“壊れる前提”
で頑張り続けるのは、
長い目で見るとかなり危険なんですよね。
一度壊れると、
回復には時間がかかる。
以前と同じようには戻れないこともある。
だから今は、
「どれだけ頑張れるか」
より、
「どうすれば壊れずに続けられるか」
を考えるようになりました。
これは、
病気を経験したからこそ、
本気で感じるようになったことです。
「違和感」は、人生を立て直すサインなのかもしれない
もし今、
「このままでいいんだろうか」
そんな違和感を抱えている人がいるなら。
その感覚を、
無理に消さなくてもいいのかもしれません。
もちろん、
すぐに仕事を辞めろ、
という話ではありません。
現実には、
生活もある。
家族もいる。
簡単に動けない人も多いと思います。
私自身、
40代で仕事を辞める時、
かなり不安でした。
本当にこれでいいのか。
この先どうなるのか。
正直、
今でも不安がゼロになったわけではありません。
でも今思うのは、
“違和感を感じている”
という時点で、
心や体は、
何かを伝えようとしている可能性があるということです。
そして多くの場合、
本当に危ない時は、
突然やってくるわけじゃない。
小さな違和感を、
長い間無視し続けた先で、
人は立ち止まれなくなる。
だからこそ、
壊れる前に、
少しだけ立ち止まってみる。
それは、
弱さではなく、
長く生きていくために必要なことなんじゃないかと思っています。
おわりに
昔の私は、
「無理できること」
を、
強さだと思っていました。
でも今は違います。
本当に大事なのは、
“壊れずに続けられること”
だったんですよね。
以前の私は、
走り続けることで、
違和感を見ないようにしていました。
でも今は、
少しずつでも、
自分の感覚を無視しない生き方をしたいと思っています。
たぶん、
病気にならなければ、
私はここまで立ち止まれなかったと思います。
だから今は、
あの頃感じていた違和感も、
無駄ではなかったんだと思っています。
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