仕事中心だった日々から、私は突然“家族の時間”の真ん中に戻されました。
脊髄腫瘍が見つかり、歩くこともできず、働くこともできず、
ただベッドの上で痛みと向き合うしかなかった日々。
その時、ようやく気づきました。
妻が一人で息子を送り迎えしていたこと。
子どもが話したかった“今日の出来事”を、
私はずっと聞けていなかったこと。
そして、入院中。
まだ5歳にも満たない息子が書いた一枚の小さな手紙を見た瞬間、
胸の奥で“何かが音を立てて変わった”のです。
これは、病気によって止められた人生を、
もう一度、家族とともに歩き直すことを決めた日の話です。
病気が止めた人生で見えたもの
──息子の手紙が、働き方を変えた話
病気になる前の私は、
“働くことこそ最優先”だと信じていました。
会社に行き、言われた仕事をこなし、家に帰ればもうヘトヘト。
子どもの保育園の送り迎えは、妻がすべて担当。
実質的に、ワンオペでした。
もちろん、そのときは自覚なんてありません。
「仕事で疲れているんだから任せてもらうしかない」
そんなふうに、自分を正当化していました。
少しずつ見えてきた「当たり前」の時間
会社を辞めて学校に通っていた頃、
少しずつ子育てに関わる時間が増えました。
送り迎えをしてみると、
子どもの表情ってこんなにコロコロ変わるんだな、と驚いたり。
帰り道に「今日こんなことしたよ」と話す、その“たわいない会話”が、
思っていた以上に豊かな時間だということに気づきました。
正直、この頃はまだ「働き方を変えよう」とまでは思っていませんでした。
ただ、子どもと過ごす時間の温度に気づき始めていた。
そんな段階でした。
病気が人生を“強制停止”した
そんななか、脊髄腫瘍が見つかりました。
手術が必要だと言われ、
それまで歩いていた日常が、ある日突然“止まった”のです。
退職していたこともあり、
私は無職のまま療養とリハビリに集中するしかありませんでした。
その時間は、つらさもありましたが、
もう一方で “人生を考える時間” でもありました。
無職になって初めて見えた、家族の姿
無職になって、家にいる時間が増えたことで、
私は初めて「見えていなかったもの」を見ました。
妻がしてくれていた家事の大変さ。
送り迎えの“往復30分”が、どれだけ家族に温度を与えるか。
子どもが晩御飯を食べながら話してくれる、たわいない一言。
その全部が、働いていた頃の自分には抜け落ちていた。
働いていた頃は、
「疲れているから仕方ない」「仕事してるから偉い」
そんなふうに心のどこかで思っていた自分がいました。
でも実際には、
大切な時間は、お金で買えなかった。
無職という立場になり、
やっとその現実を“まっすぐ見れた”のです。
お金は後からでも稼げる。
でも、子どもの笑顔はその一瞬しかない。
こんな、当たり前のことが見えてなかったのです。
「働くって、そんなに大事なのか」と初めて疑問が生まれた
会社員時代も、たしかに働く意味を考えたことはありました。
だけど、忙しすぎて、表面的なことしか考えません。
・昇給
・評価
・同僚との比較
・目の前のタスク
・残業と疲労感
・家庭への後ろめたさ
こんなものに追われていると、
根本的な問いなんて抱ける余裕はありません。
もちろん考えている人もいるのでしょうが、当時の私は
そんなこと、考えもしませんでした。
でも、無職になって、立ち止まらざるを得なくなったとき──
「働くって、本当に大事なことなんだろうか?」
「お金を家に入れるだけが、父親の役割なのか?」
気づけば、そんな問いが、何度も胸の中に湧いてきました。
共働きが当たり前の時代で、家族をどう守るか
さらに考えたのは「この先の未来」でした。
私が、もしフルタイムに戻ったら、
また送り迎えも、日常の会話も、全部妻に任せる生活に戻る。
共働きで忙しすぎて、
子どもと向き合う時間が削られたら──
“子どもをほったらかしにしてしまうんじゃないか?”
そんな不安がふと浮かんだのです。
子どもが小さい今の時間って、
本当に“一度しかない時間”なんですよね。
誰かが代わりにやってくれる時間でもないし、
お金で取り戻せる時間でもありません。
「父として、夫として、自分はどうあるべきか」
初めて、真正面から向き合いました。
昭和的な会社で働き続けた未来は、見えなかった
会社員として働いていた頃、
育児の話をすると返ってくるのは決まってこうでした。
「そんなもん嫁に任せたらいい」
「男は働いとけばええねん」
「昔はみんなそうやったぞ」
正直、違和感しかありませんでした。
“これが正しい働き方なのか?”
“この組織に、自分の未来はあるのか?”
病気で立ち止まった時間は、
その違和感をハッキリ形にしてくれました。
決定的だったのは、息子の小さな手紙
私が入院中、妻と一緒に書いた小さな手紙。
まだ5歳にもなっていない息子が、
ひらがなを一生懸命書いた文字でこう書いていました。
「おとうさんがんばってね。」
LINE通話越しに、手紙を見せてくれました。
一生懸命書いてくれたことへの喜びだけでなく、
その瞬間、自分の中で何かが変わりました。
涙が出そうになるほど胸が熱くなり、
同時に強く思ったんです。
“この子の時間を守れる働き方をしよう。”
“家族のそばで生きていこう。”
病気はつらかった。
痛みも後遺症も残った。
でも、
この手紙がなければ、
自分はまた同じ働き方に戻っていたかもしれません。
私が働き方を選び直した理由
病気が人生を止めてくれたからこそ、見えたものがあります。
・妻の負担
・子どもの笑顔
・家族の時間の温度
・働き方の違和感
・共働きでの未来の不安
・“今しかない時間”の価値
これらすべてが重なって、
私はフルタイムを手放し、
在宅でできる働き方へと舵を切りました。
“会社に合わせて生きる人生”ではなく、
“家族に合わせて働き方を選ぶ人生” に変えたのです。
もちろん、事前に準備をしていたわけではないので、正直手探り状態です。
今も、模索しながら新しいことへチャレンジしています。
最後に
病気は決して良いものではありません。
後遺症も、痛みも、簡単には消えません。
でも、
あの時間がなければ気づけなかった大切なものがある。
息子の小さな手紙は、
私の人生の軸を変えた一枚になりました。
これが、
“病気から子育てへ価値観が変わった話”
そして
“働き方を選び直した理由”のひとつです。
入院から1年経ち、改めて病気になって自分を
見つめ直す時間ができて良かったと。
収入面では、まだ不安はありますが、
お金では買えない幸せは手に入れることができました。
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