40代で無職になるなんて、以前の私は想像もしていませんでした。
会社員として働き、税理士事務所や企業経理を経験し、管理職にも就きました。
このまま会社員として働き続けるものだと思っていたのです。
ただ、私が会社を辞めた理由は病気ではありません。
以前から興味のあったデータサイエンスを学び、新しい働き方を考えたいと思ったからです。
学校を卒業したら、もう一度会社員として働くことも考えていました。
ところが、卒業する頃に病気が見つかります。
その後は、入院、手術、リハビリ。
気づけば約一年、まともに働くことができませんでした。
現在も仕事はしています。
しかし、体調を優先しながら短時間だけ会計の仕事をしている状態です。
収入だけを見れば、「無職」と変わらないと思われるかもしれません。
でも、この一年は決して空白ではありませんでした。
むしろ私は、この期間があったからこそ、今まで考えたことのなかった問いと向き合うことになります。
「人は、何のために働くのだろう。」
それが、この記事でお伝えしたいことです。
働けなくなって初めて、「働けること」は当たり前ではないと知った
会社員だった頃の私は、「働くこと」を疑ったことがありませんでした。
朝起きて会社へ行く。
仕事をする。
給料をもらう。
休日は好きなことを楽しむ。
それが当たり前の日常でした。
もちろん仕事が大変だと思うことはありました。
残業もありましたし、責任も年々大きくなっていきました。
それでも、
「働けること」
そのものを意識したことはありませんでした。
しかし病気になって、その前提は完全に崩れました。
退院しても、すぐに以前のような生活へ戻れたわけではありません。
長時間座ることが難しい。
体調が日によって変わる。
今日は動けても、明日は分からない。
そんな毎日でした。
そのとき初めて、
働くことよりも前に、「働ける体と心」があること。
それがどれほど大切だったのかに気づいたのです。
「もっと働けばいい」という考え方が通用しなくなった
退院後も、会計の仕事は続けていました。
働けば収入になります。
逆に、働かなければ収入はありません。
以前の私なら、
「収入が足りないなら、もっと働けばいい。」
そう考えていたと思います。
しかし、病気を経験してからは、その考え方が変わりました。
無理をして働けば、その日は何とかなるかもしれません。
でも翌日になると、強い疲労や痛みが出ることもあります。
その状態でまた働けば、さらに体調を崩してしまう。
そんな経験を何度もしました。
私はそこで初めて思いました。
体を酷使してまで働くことは、本当に働くことなのだろうか。
生活のために働いているはずなのに、その働き方が生活そのものを壊してしまう。
それでは本末転倒です。
以前の私は、
収入を増やすことが働く目的の一つでした。
でも今は違います。
まず考えるのは、
「この働き方を10年続けられるか。」
ということです。
それが、病気を経験した私の働き方の基準になりました。
時間を売る働き方だけでは、将来の不安は消えなかった
私は会計の仕事をしています。
この仕事は、働いた時間に応じて収入を得る働き方です。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
私も長年、その働き方で生活してきました。
ただ、病気を経験して強く感じたことがあります。
それは、
自分が働けなくなれば、収入も止まる。
という現実です。
病気だけではありません。
事故や介護、育児など、人生には突然働けなくなる出来事があります。
どれだけ仕事ができる人でも、その可能性はゼロではありません。
私は、たまたま生活防衛資金を準備していました。
また、以前から将来の年金問題も考え、投資や資産形成を続けていました。
だからこそ、焦って体調を無視して仕事へ戻るという選択をせずに済みました。
もし何も準備をしていなかったら。
私はきっと、
「働かなければ生活できない。」
その焦りだけで仕事を選んでいたと思います。
だから今は、お金に対する考え方も変わりました。
お金は旅行へ行くためでも、好きな物を買うためでもあります。
でも、それだけではありません。
自分や家族を守るためのものでもある。
私は無職だった一年で、その意味を身をもって知りました。
20代の頃から感じていた違和感の意味が、今になって分かった
社会人になった頃のことです。
毎日、満員電車に乗って会社へ通っていました。
そのとき、40代、50代くらいの会社員の方を見て、
「みんな、とても疲れている。」
そう感じたことを今でも覚えています。
もちろん、その頃の私は社会人になったばかりです。
家族を養う責任もありませんでした。
だから単純にそう見えていただけなのかもしれません。
当時は終身雇用という考え方も今より強く、転職も今ほど一般的ではありませんでした。
だから多くの人が、その働き方を続けるしかなかったのでしょう。
それでも私は、どこかで疑問を感じていました。
働くことで、多くのものを失っているのではないか。
でも、その答えは分かりませんでした。
会社員として働いていた私自身も、その流れの中にいたからです。
そして病気を経験した今、その頃の違和感の意味が少し分かった気がしています。
働くことは大切です。
でも、働くことによって健康や心の余裕を失ってしまえば、本来守りたかったものまで失ってしまうことがあります。
だから私は今、
「どう働くか」
よりも、
「どうすれば長く働き続けられるか」
を先に考えるようになりました。
働く意味は、お金を稼ぐことだけではなかった
私は、お金を稼ぐことを否定したいわけではありません。
生活するためにはお金が必要です。
家族との時間を過ごすにも、お金は必要です。
好きなことをするにも、お金は必要です。
だから働くことは、とても大切です。
でも、病気になって思いました。
もし病気がもっと進行していたら。
もし一人では生活できなくなっていたら。
もし外出することさえ難しくなっていたら。
そう考えたとき、
私は初めて気づきました。
お金は人生を豊かにするためだけではなく、
人生を守るためにも必要なのだと。
そして、そのお金を得るために、自分の体や心を壊してしまうのであれば、
それは本当に、自分が望んでいた働き方なのだろうか。
私はそう考えるようになりました。
働けることを前提にしない働き方を考えるようになった
病気になる前の私は、
収入。
キャリア。
将来性。
そうしたものを中心に仕事を考えていました。
もちろん、それは間違いではありません。
私も同じように考えていました。
でも今は、最初に考えることが違います。
この働き方は、今の自分でも続けられるだろうか。
無理をしなくても続けられるだろうか。
体調が悪い日があっても、生活は回るだろうか。
一つの収入が止まっても、大丈夫だろうか。
そう考えるようになりました。
だから私は、会計の仕事だけに頼るのではなく、
ブログを書き、
AIを学び、
業務改善や仕組みづくりにも時間を使っています。
すぐに収入になるものばかりではありません。
それでも私は、その時間を無駄だとは思いません。
なぜなら、
「今だけ稼げる働き方」よりも、「10年後も続けられる働き方」の方が大切だと思うようになったからです。
まとめ|無職だった一年は、働く意味を考え直す時間だった
40代で無職になったことは、決して望んだ出来事ではありませんでした。
でも、あの一年があったからこそ、
私は「働くこと」を初めて立ち止まって考えることができました。
以前は、
働くことが当たり前でした。
収入を増やすこと。
仕事で成果を出すこと。
責任を果たすこと。
それが働くことだと思っていました。
でも今は違います。
私にとって働くことは、
お金を稼ぐことだけではありません。
自分の人生を壊さずに、長く続けていくこと。
そのための手段です。
そして、その前提には、
「働ける体と心があること」
があります。
これは病気を経験したからこそ気づけたことでした。
病気でなくても、
事故や介護、育児など、人生には思いがけない出来事が起こることがあります。
働けることは、決して当たり前ではありません。
だから私は今も、自分自身に問い続けています。
「もっと稼げるか。」
ではなく、
「この働き方は、10年後も続けられるだろうか。」
この問いは、きっとこれからも変わらないと思います。
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