「忙しいのが当たり前」に、いつから慣れてしまったんだろう
今回は、病気になる前から感じていた、“普通に働くこと”への違和感について書いてみようと思います。
ただ、これは病気の話ではありません。
むしろ、そのずっと前の話です。
当時は、違和感という言葉すら使っていませんでした。
でも今振り返ると、どこかでずっと、
「これって、本当に普通なんだろうか」
と思っていた気がします。
「忙しいですね」が、挨拶みたいになっていた
会社員時代を振り返ると、よく耳にしていた言葉があります。
「忙しいですね」
です。
朝の挨拶のように使われることもありました。
昼休みにも仕事の話をしている。
飲み会でも仕事の話になる。
帰る頃にはヘトヘトになっている。
でも翌日には、また同じように出社する。
当時は、それを特別なことだと思っていませんでした。
むしろ、
「社会人って、こんなものなんだろう」
と思っていました。
でも今考えると、少し不思議なんですよね。
みんな疲れている。
みんな余裕がない。
なのに、それが当たり前になっている。
そこに、いつの頃からか、小さな疑問を持つようになりました。
「なんで、みんなこんなに無理しているんだろう」と思っていた
仕事そのものが嫌だったわけではありません。
むしろ、仕事を通して学ぶことも多かったですし、責任ある仕事を任されることにもやりがいはありました。
でも、働いているうちに、少しずつ思うようになりました。
「なんで、みんなこんなに無理しているんだろう」
って。
本当はしんどそうなのに、
「大丈夫です」
と言う。
本当は余裕がないのに、
「何とかなります」
と言う。
そして、その状態が続いても、
「社会人だから」
で片付けてしまう。
もちろん、自分もその一人でした。
だから、周りを否定したいわけではありません。
ただ、どこかで、
「ずっとこのまま走り続けるのかな」
という感覚がありました。
「効率化」が、人を楽にするとは限らなかった
会社員時代、自分は経理の仕事をしていました。
業務改善や効率化を考えることは好きでした。
今まで手作業だったものを見直す。
無駄を減らす。
全体が回りやすくなる仕組みを考える。
そういうことには意味があると思っています。
ただ、ある時から違和感を持つようになりました。
効率化をしても、人はあまり楽にならないんです。
むしろ、
「これだけ効率化したんだから、もっとできるよね」
という方向に進んでいくことが多かった。
人が減る。
仕事が増える。
余裕がなくなる。
でも、それも、
「工夫すれば何とかなる」
で終わってしまう。
すると、結果的に、“頑張れる人”に仕事が集まり続ける構造になっていく。
もちろん、会社にも事情があります。
利益も必要ですし、競争もあります。
だから単純な善悪の話ではありません。
でも、その頃から、
「人間の方が置いていかれている感じ」
がしていました。
「みんなも頑張っている」が、自分を縛っていた
違和感はありました。
でも、それ以上に強かったのが、
「みんなも頑張っているしな」
という感覚でした。
周りを見ると、自分より忙しい人もいる。
もっと責任のある人もいる。
だから、
「自分だけ弱音を吐くのは違う」
と思っていました。
日本って、良くも悪くも、「みんなと同じ」が安心につながる空気があります。
だから、自分の感覚よりも、周りに合わせることを優先しやすい。
自分もそうでした。
そして気づかないうちに、
「これが普通なんだ」
と思い込むようになっていました。
でも、本当は「普通」が合わない人もいる
今になって思うのは、“普通”って、人によって違うんですよね。
長時間働くことが苦にならない人もいる。
競争が好きな人もいる。
組織の中で力を発揮できる人もいる。
それは、とても素晴らしいことだと思います。
でも、一方で、
無理を続けることが苦手な人。
体調に波がある人。
一人で考える時間が必要な人。
人に合わせ続けると疲れてしまう人。
そういう人もいます。
なのに、みんな同じ前提で生きようとすると、どこかで苦しくなることがあります。
昔の自分は、
「自分が合わせなきゃ」
と思っていました。
でも今は、
「その前提、本当に自分に合っているのかな」
と考えるようになりました。
病気になって、昔の感覚の意味が少し分かった
病気になってから、自分は一度立ち止まることになりました。
手術。
リハビリ。
以前のように動けない感覚。
その中で、昔感じていた小さな疑問を思い出すようになりました。
「あの頃から、少し無理をしていたんだな」
って。
もちろん、病気の原因が働き方だったとは思っていません。
でも、自分の感覚を後回しにしていたのは事実だったと思います。
だから最近は、
「病気になって価値観が変わった」
というより、
「もともと感じていたものが、病気をきっかけに表面化した」
という感覚の方が近いです。
「普通」を疑ってみてもいいのかもしれない
もし今、
「なんとなく苦しい」
「なんとなく疲れている」
そう感じている人がいたら。
それは、甘えでも、弱さでもないのかもしれません。
もちろん、すぐに仕事を辞める必要はありません。
無理に生き方を変える必要もありません。
でも、一度だけ、
「その前提、本当に自分に合っているのかな」
と考えてみてもいいのかもしれません。
世の中の“普通”に自分を合わせ続けることが正解とは限らない。
自分に合う前提を探すことも、一つの生き方なんだと思っています。
最近は、そんなふうに考えるようになりました。
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