リハビリの先に見えた、“心の回復”。この体でどう生きていくかを考える

私は今も、週に一度、リハビリに通っています。
退院して時間が経った今でも、
体のリハビリと同じくらい、心のリハビリの方が必要だと感じています。

目次

「治す」より、「付き合っていく」

「頑張れば治る」と信じていた頃の自分へ。
今振り返ると、あの時こそ一番“心”が疲れていました。

病気になったばかりの頃、
私の目標は“治すこと”だけでした。
リハビリを続けていれば、
いつか元の自分に戻れると信じていました。

でも、現実は違いました。

どれだけ努力しても、完全には戻らない体。
できていたことが、もうできない。
そんな現実に、何度も心が折れそうになりました。

「頑張れば何とかなる」
——その言葉が、自分を苦しめていたんだと思います。

いまの私は、治すことより、“この体とどう生きていくか”を考えています。
出来ないこともあるけれど、
繰り返し練習することで、
“以前ほどではなくても、できるようになる”ことがある。

諦めるのではなく、
自分の体に合った“やり方”に変えていく。
その発想にたどり着くまでに、
本当に長い時間がかかりました。


「みんなと同じ」が、正解ではなかった

一番つらかったのは、
“みんなと同じようにできない”自分を受け入れることでした。

世の中の大勢がやっていること。
それが正しい働き方、正しい生き方。
そう思い込んでいたからこそ、
できない自分を責め続けていました。

でもある日、ふと気づきました。

「できないことがあるからこそ、
自分に合った生き方を見つけられるのかもしれない。」

私の体に合った働き方が会社で受け入れて貰えないなら、
自分で仕事を作ればいい。

そう思えるようになってから、
少しずつ、世界が明るく見えるようになりました。


終わりのないリハビリ。それでも続ける理由

私のリハビリは、今も終わっていません。
そして、きっとこれからも終わることはないと思っています。

でも、やめるつもりもありません。
繰り返し練習を重ねることで、
足の動きをキープできている。

現状維持って、聞こえは地味だけど、
実際にはとても価値のあることなんです。

少しずつでも進んでいる。
昨日より、今日の自分の方が強い。
それだけで十分なんです。


「生かされていた頃」と「今、生きている自分」

以前の私は、“生きていた”というより、“生かされていた”と思います。
会社に合わせ、社会の枠の中で動き、
「こうあるべき」に自分を押し込めていました。

でも今は違います。

体ありきで考える。
できないことは無理にやらない。
できることを、自分のやり方でやる。

そんな風に、自分で創意工夫しながら生きている。

病気になる前の私は、
“与えられた働き方”の中で成果を出そうと必死でした。
でも今は、“自分の体に合った働き方”を
自分で作ることに喜びを感じています。

まだ、結果は出せていません。
自分が、出来る範囲のことをやって
それが、今後自分自身の中で生きて来ると
信じてやっています。


病気で失ったものより、得たものの方が多かった

病気になった当初は、
「なんで自分が」と思いました。
不安と痛みと孤独で、
何も見えなくなっていました。

でも今は、心からこう言えます。

病気になって、よかった。
あの頃の自分には信じられない言葉だけど、今の私はそう思えます。

体は不自由になったけれど、
心は自由になりました。
自分のリズムで生きて、
自分のペースで働いている。

昔のように、
「誰かの期待に応えるため」に生きることはもうしません。
いまは、「自分を大切にするため」に生きています。


心のリハビリは、これからも続く

私のリハビリは、終わりのない戦いです。
でも、やめるつもりもありません。

痛みと付き合いながら、
自分の体を理解し、
そして、心を整えていく。

これからも、その繰り返しです。

ただ一つだけ言えるのは、
今の私は、病気になる前よりも幸せです。

なぜなら、
「どう生きるか」を自分でデザインして生き方を選んでいるから。


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この記事を書いた人

会計事務所、事業会社で税務・経理の仕事に従事していました。
40代で脊髄腫瘍になり、手術・リハビリをしつつ、現在はフリーランスで仕事をしています。