「まさか、自分が病気になるなんて——」
そう思った瞬間、人生の時計が一度止まりました。
あの日まで、私は新しいキャリアを描いていました。
会社を辞め、データサイエンスを学び直し、
これから自分の力で生きていこうとしていた矢先のこと。
でも、病気の診断を受けたその日から、
“これまでの生き方”はもう通用しなくなりました。
働くこと。生きること。守ること。
そのすべてを、もう一度考え直す時間が始まったのです。
――病気で失ったもの、そして病気がくれたもの。
ここでは、私が“体に合わせてキャリアを再構築した”軌跡を、
ひとつの生き方として綴ります。
止まった時間の中で、見えてきたもの
最初は、ただ悔しさしかありませんでした。
せっかく努力してきたのに、また一からやり直しか——そう思いました。
けれど、時間が経つにつれて少しずつ気づいていきました。
「立ち止まった時間」にしか見えない景色があることに。
動けない日々の中で、
「働くとは何か」「生きるとは何か」を
これほど深く考えたのは、初めてでした。
忙しさの中では見えなかった“本当の自分の声”に、
ようやく耳を傾けることができたのです。
病気で“失ったもの”は確かにあった
病気をして、いくつものものを失いました。
動ける自由、体力、自信、そして将来への計画。
それまで“当たり前”だった日常が、一瞬で壊れていきました。
リハビリの日々は想像以上に地道で、
焦りと孤独が、何度も心を覆いました。
けれど、その「失ったもの」の中に、
もう一度、自分の人生を組み立て直す“余白”があったのです。
考え方を変えれば、
人生は何度でもやり直せる——そう思えるようになりました。
病気がくれた、“新しい働く意味”
再就職は諦めざるを得ませんでした。
でも、それは「働くことを諦める」こととは違いました。
“以前のように働けない”なら、
“今の体に合う働き方を自分でつくればいい”。
そう思うようになってから、少しずつ気持ちが変わっていきました。
病院に通いながらでも、リハビリを続けながらでもできる。
そんな働き方を軸に、もう一度キャリアを再構築していこう。
以前のような収入は難しくても、
体に合ったペースで長く続けられる仕事をつくる。
それが、今の私にとっての“仕事の再定義”です。
心の奥では——
「絶対に会社員時代を超えてやる!」という熱い気持ちを、
声に出すことなく、自分の内に秘めていました。
「働く形」ではなく、「生きる形」を整える
病気になる前の私は、
“会社に合わせる働き方”しか知りませんでした。
でも今は、“体に合わせる生き方”を選んでいます。
- 通院しやすいスケジュールにする
- 働く場所を問わない働き方に変える
- 無理な仕事量を設定しない
- 体調に応じて「休むことも仕事のうち」と考える
- 長く続けられる仕事を選ぶ
一見わがままに見えるこれらの選択は、
実は“続けるための戦略”だと思っています。
キャリアは、収入ではなく「自分を守る仕組み」
病気をしてから、キャリアの意味がまったく変わりました。
かつては「年収」や「肩書き」で自分を測っていましたが、
今は違います。
キャリアとは、
“自分を守りながら生きていくための仕組み”だと考えるようになりました。
痛みがあってもできる仕事。
心が疲れたときに立ち戻れる働き方。
それこそが、私の新しいキャリアの形です。
そしてこの頃から、
「体を動かさなくても収入を得られる仕組みをつくる」ことを
真剣に考えるようになりました。
病気がくれた、“生き方の再構築”
病気をしていなければ、
きっと私は“頑張ること”をやめられなかったと思います。
でも今は、頑張る方向が変わりました。
「我慢」や「根性」ではなく、
“自分のペースで続ける力”に変わったのです。
失ったものを数えるのをやめたとき、
人はようやく前を向けるのかもしれません。
病気で人生が止まった日。
あれは終わりではなく、
“再構築の始まり”でした。
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