脊髄腫瘍の手術後、再び歩けるようになるまでの時間と工夫|生き方を取り戻すまでの記録

この記事では、私が脊髄腫瘍の手術後に歩けるようになるまでの時間と工夫を、できる限りリアルに書いていきます。
これは医学的な記録ではなく、「生き方を取り戻すまでの私の物語」です。
同じようにリハビリに向き合う誰かに、少しでも希望の灯が届けばと思っています。

目次

手術後、立ち上がることすらできなかった日々

手術を終えて目を覚ました瞬間、まず感じたのは――
「左足の感覚がない」という現実でした。

頭では「動かそう」と命令しても、足はまるで他人のもののように静まり返っている。
股関節に力を入れてもピクリとも動かず、鉛のように重い。

主治医からは「少しずつ回復していきますよ」と言われ、私はその言葉を信じるしかありませんでした。
手術の麻酔がまだ体に残り、意識はぼんやり。そんな中で、ただ時間だけが過ぎていきました。

やがて、時間の経過とともに少しずつ変化が現れます。
足首がわずかに反応し、膝が少し動くようになった。
その数センチの動きが、涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。

一般病棟に移ってからもしばらくは寝たきり。
歩行器を使って自力で歩けるようにならないと、尿道カテーテルを外す許可が出ません。
看護師さんに支えられながら立ち上がる練習を繰り返しましたが、両足で自分の体重を支えることすらできませんでした。

正直、情けなかった
自分より小柄な看護師さんに体を支えてもらいながら、それでも立ち上がれない。
何度もベッドから立っては座り、座ってはまた立つ――その繰り返し。

「このまま歩けるようになるのだろうか」と、不安でいっぱいでした。
今では普通に歩けるようになりましたが、当時はショックが大きく、
まさか自分が後にこの経験を記事に書くなんて、想像すらできませんでした。

あの頃の私は、まるで不幸のどん底にいて、人と話すことすら億劫だったのです。


リハビリの始まりと「数歩の奇跡」

手術から4日ほど経った頃、リハビリが始まりました。
理学療法士の先生が穏やかに言いました。

「まずはベッドの横で、立ってみましょう。」

ほんの数秒立つだけなのに、全身が震えました。
前日までは支えがないと立てなかったのに、その日は明らかに違っていました。

左足が、今までの「鉛のような足」から「棒のような足」に変わっていたのです。
うまく表現できませんが、棒のように硬直しながらも、自分の体重を支えられるようになっていました。

もちろん、体重のかけ方を少し誤れば、バランスを崩して倒れそうになります。
それでも、歩行器に体を預けながら、一歩、また一歩と進めるようになっていきました。

歩けたことは嬉しかった。
でも同時に、「以前の自分」との距離を痛感しました。
ほんの数歩歩くことが、果てしなく遠い旅のように感じたのです。

別の日には、リハビリ室で作業療法と理学療法のプログラムを受けました。
そこで再び、「自分を取り戻す訓練」が始まりました。

周りの患者さんがスムーズに歩く姿を見るたびに、
「なぜ自分だけが…」と落ち込みそうになりました。

そんなとき、理学療法士の先生が優しく言いました。

「他人と比べなくていい。昨日のあなたより、今日のあなたがどうか。それだけを見ましょう。」
「少しずつ、できることを増やしていけばいいんです。」

その言葉に、救われました。
私は再び、前を向くことができました。


少しずつ「できたこと」を増やす毎日

リハビリで心がけたのは、焦らず、積み重ねること
「できない」を嘆くより、「できた」を拾う。
それが、心を前に進ませる唯一の方法でした。

  • 朝は5分だけストレッチ
  • 痛みが強い日は深呼吸だけでもOK
  • 1日1つ、「昨日よりできたこと」をスマホに記録

たとえば「今日は足を少し上げられた」「手すりなしで1歩足を出せた」――
そんな小さな記録を重ねていくうちに、
「昨日の自分を超えた」という実感が、確かな自信へと変わっていきました。


リハビリは身体だけじゃない。心のトレーニングでもある

リハビリの本当の難しさは、心が折れそうになる瞬間が何度も来ることです。
少し良くなったと思えば痛みがぶり返し、思うように動かなくなる。

「もう一生このままなのではないか」
「努力しても無駄なんじゃないか」
そんな黒い感情が頭をよぎります。

それでもあきらめなかったのは、ほんの小さな希望を信じたから。
「もう一度、普通に歩きたい」「またマラソン大会に出たい」――
その思いが、私をベッドから立ち上がらせる原動力になりました。

とはいえ、気持ちだけでは続きません。
だから私は、自分へのご褒美を用意しました。
「これができたら映画を観よう」「今日は頑張ったから甘いお菓子を買おう」。
そんな“小さな楽しみ”を糧にしながら、病院生活を過ごしました。


退院後に気づいた「生活そのものがリハビリ」

入院期間は3週間。
退院の直前まで、歩行器なしで歩くのが怖かった私に、
医師と理学療法士はこう言いました。

「これからは、日常生活そのものがリハビリになります。」

その言葉を信じて、家での生活を少しずつ取り戻していきました。

  • キッチンで立つ時間を1分、2分と伸ばす
  • 買い物に行くとき、あえて少し遠回りをする
  • 階段の上り下りで足の動きを意識する

どれも小さなことですが、“無理をしないで続ける”ことを意識しました。
痛みが強い日は無理せず休む――それも立派なリハビリの一部です。

中でも一番怖かったのは、子どもの保育園の送迎でした。
自転車で通うのですが、止まったときに両足で支えきれず、倒れそうになることがありました。
それでも「やれることからやる」と決め、毎日少しずつ挑戦を続けました。


もう一度、自分の足で歩けた日

退院してしばらく経ったある日、歩行器なしで公園を歩いた
その光景はいまでも鮮明に覚えています。

空の青さ、公園を吹き抜ける風、草の上を踏む感触。
どれもが新鮮で、まるで世界が輝いて見えました。

今まで、時間がある時にマラソンの練習をしていた公園。
以前と変わりないはずだが、その時の感じ方は明らかに違った。
大げさかもしれもせんが、本当に生きていると改めて感じた。

その公園は、マラソンしていた時の私の原点。
その時は歩くだけで精一杯。
歩いていて涙が出てきた。
嬉しさの涙か、悲しさの涙か分からない。
でも、なぜか涙が出てきた。

「ああ、自分の足で再びここに立っている」と強く感じたのです。
“当たり前に歩けること”が、どれほど尊いか。
その意味を、本当に心の底から知った日でした。


病気が教えてくれた「本当の強さ」

手術直後は、人生が終わったような気がしていました。
けれど今振り返ると、あの時間があったからこそ、本当の意味で生き方を考えられたと思います。

強さとは、我慢することでも完璧を目指すことでもありません。
“弱さを認めながら、それでも前を向くこと。”
それが、私がリハビリを通じて学んだ「本当の強さ」です。

焦らず、比べず、できたことを数える。
その小さな積み重ねが、再び歩く力をくれました。


最後に:リハビリは「自分を取り戻す旅」

脊髄腫瘍のリハビリには、終わりがあるようで、終わりはありません。
けれどそれは、決して悪いことではないと思っています。

リハビリとは、自分を取り戻し続ける旅だから。

昨日より1歩でも前に進めたなら、それで十分。
痛みも不安も、あなたが“今を生きている証”です。


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この記事を書いた人

会計事務所、事業会社で税務・経理の仕事に従事していました。
40代で脊髄腫瘍になり、手術・リハビリをしつつ、現在はフリーランスで仕事をしています。