「無理をしない働き方」と聞くと、
どこかで引っかかる感覚を持つ人もいるかもしれません。
本当は無理なんてしたくない。
できれば余裕を持って働きたい。
それでも現実には、
「ここはやらないといけない」
「避けられない局面だ」
そんな場面が、確かにあります。
だから多くの人は、
無理を前提にしているつもりはなくても、
必要なときには無理をして、仕事をやりきってきたのだと思います。
自分も、そうでした。
ただ、病気をきっかけに、
その「当たり前」が静かに成り立たなくなりました。
無理をしたくない、ではなく、
無理ができない日がある。
その現実と向き合う中で、
「無理を前提にしない働き方」は、
甘えではなく、生き方の再設計だったのだと、
少しずつ思うようになりました。
この記事では、
無理を前提にして働いてきた感覚と、
そこから前提が変わっていった過程について、
整理して書いています。
無理を前提にしていたわけではない
会社員時代、
自分は「無理をすること」を前提に働いていたわけではありません。
できるなら無理はしたくない。
体調が悪い日は、できれば早く帰りたい。
それは、ごく普通の感覚だったと思います。
ただ現実には、
「ここはやらないとダメだ」
「避けられない局面だ」
そう感じる場面が、どうしてもありました。
納期や責任、立場。
誰かが代わってくれるわけでもない仕事。
そういう場面では、
多少つらくても、無理が効くならやりきる。
それが「働く」ということだと、自然に思っていました。
逃げないことが、当たり前だった
だからといって、
できない人を責めるような考えを持っていたわけではありません。
「根性が足りない」とか
「覚悟がない」とか、
そんなふうに他人を断じていたわけでもない。
ただ、
やらないといけないことからは逃げられない
引き受けた以上、やりきるのが当たり前
そういう価値観は、確かにありました。
それは精神論というより、
仕事としての責任感に近い感覚だったと思います。
その前提が、成り立たなくなった
病気を経験して、
その前提が静かに崩れました。
無理を「したくない」のではなく、
無理を「できない日がある」。
今日は何とかなると思って始めた作業が、
途中で続かなくなる。
集中力が切れ、体がついてこない。
気合や根性で乗り切る、
という選択肢が、現実的ではなくなりました。
ここで初めて、
やるべきことを、やりきる
という前提そのものが、成り立たない日がある
という事実を突きつけられました。
無理をしない、という選択への戸惑い
無理をしない働き方は、
最初は戸惑いの連続でした。
今日はここまでにする。
引き受けない仕事を決める。
休むことを、意識的に選ぶ。
頭では理解していても、
どこか落ち着かない感覚が残る。
「これでいいのだろうか」
「自分に甘くなっているだけではないか」
そんな迷いが、何度も浮かびました。
無理をしないことは、現実への適応だった
時間が経つにつれて、
少しずつ見え方が変わってきました。
無理をしないという選択は、
逃げるための判断ではなかった。
むしろ、
現実から目をそらさないための判断だった。
無理が前提の働き方を続けていたら、
どこかで完全に止まっていたと思います。
止まらないために、
壊れないために、
続けるために。
無理を前提にしない、という選択が必要でした。
無理を前提にしない、という設計
今振り返ると、
無理をしない働き方は「楽をすること」ではありませんでした。
- 無理をしないために、どう設計するか
- どこで線を引くか
- 何を捨て、何を残すか
以前より、考えることは増えています。
ただ一つ違うのは、
自分を削ることを前提にしなくなった
という点です。
甘えではなかった、と言える理由
無理を前提にしない働き方は、
人によっては「甘え」に見えるかもしれません。
でも、自分にとっては、
生き続けるための、現実的な判断だった
そう言い切れます。
無理をしないことは、
弱くなることではありませんでした。
むしろ、
続けるための強さだったのだと思います。
