「最近、前より動けなくなったな」
そんな感覚を、
はっきり言葉にできないまま、
抱え続けていた時期がありました。
頑張っていないわけではない。
怠けているつもりもない。
それでも、
以前のようなスピードでは進めない。
同じ量をこなすと、どこかに無理が出る。
気づけば、
「今日は何ができたか」
「役に立てたかどうか」
そんな基準で、自分を測る癖が残っていました。
病気を経験し、
働き方も、体の前提も変わったはずなのに、
評価の物差しだけは、昔のままだったのかもしれません。
この記事は、
生産性が落ち、即戦力ではなくなったと感じたとき、
「それでも、存在していい」と思えるようになるまでの、
考え方ではなく、感覚が追いついていく過程を、
私自身の内側の変化として書いたものです。
正解の話ではありません。
誰にでも当てはまる答えでもありません。
ただ、
「役に立てていない自分」を、
どう扱えばいいのか分からなくなった時の、
ひとつの記録として残します。
――生産性が落ち、即戦力ではなくなっても、それでも存在していいと思えた転換
生産性が落ちた自分を、どう扱えばいいのか
病気をきっかけに、
以前と同じようには働けなくなりました。
集中力が続かない日がある。
痛みや疲労で、作業量が読めない日がある。
昨日できたことが、今日はできない。
結果として、
明らかに「生産性」は落ちました。
この事実を、
頭では理解していても、
気持ちが追いつかない日がありました。
「即戦力ではない」という感覚
一番つらかったのは、
「役割を果たせていない」と感じる瞬間でした。
評価されたかどうか、
誰かに何かを言われたか、
そういう話ではありません。
ただ、
自分の中にあった感覚です。
以前の自分なら、
・もっとできた
・もっと早かった
・もっと余力を残したまま動けていた
そう感じてしまう場面が、いくつもありました。
ここで書いている「できた」「早かった」は、
誰かに評価されたという意味ではありません。
あくまで、過去の自分と今の自分を比べたときの、私自身の感覚です。
それでも、
その変化を受け止めるのは、想像以上にきついものでした。
「役に立たない=存在してはいけない」ではなかった
当時の私は、
うまく動けない自分を見て、
無意識のうちに、こんなふうに考えていました。
「今の自分は、役に立っていない」
「だったら、価値も下がっているのではないか」
でも、あるとき、
ふと立ち止まって考えたんです。
「役に立っていないと感じること」と、
「価値がないこと」は、同じではないのではないか。
ここで書いている「役に立たない」は、
当時の私が、自分自身に貼っていたラベルです。
それが、そのまま人の価値を表すものだとは、
今は思っていません。
役に立たない時間にも、意味はあった
動けない日が増えたことで、
否応なく、考える時間が増えました。
・なぜ、そこまで「役に立つこと」に縛られていたのか
・何を失うのが、一番怖かったのか
・本当は、何を大事にしたかったのか
以前の私なら、
「考えている暇があったら手を動かせ」
そう自分に言っていたと思います。
でも、その時間があったからこそ、
初めて見えたものもありました。
何も生み出していないように見える時間が、
実は、人生の土台を作り直している時間だった。
今は、そう感じています。
存在価値を「生産性」から切り離す
少しずつ、
自分の中の基準が変わっていきました。
・今日は何を生み出したか
ではなく
・今日は無理をしなかったか
・役に立ったか
ではなく
・自分を壊さずに済んだか
生産性を完全に手放したわけではありません。
ただ、それを
自分の存在価値と直結させるのを、やめました。
この切り替えは、
一気にできたわけではありません。
それでも、
「役に立たなくても、ここにいていい」
そう思える瞬間が、少しずつ増えていきました。
役に立たない自分を受け入れた先で
不思議なことに、
その考えに慣れてくると、
少しずつ、また動けるようになりました。
焦らなくなった分、
できる範囲を正確に把握できる。
無理をしない分、
結果的に、続けられる。
以前のようなスピードではありません。
即戦力とも言えないかもしれません。
それでも、
今の自分なりに担える役割はある。
そう思えるようになりました。
「役に立たない時間」を生きている人へ
もし今、
・思うように働けない
・生産性が落ちたと感じている
・自分には価値がないのでは、と感じてしまう
そんな状態にいる人がいたら、
これだけは書き残しておきたいです。
役に立たない時期があっても、
人の価値が消えるわけではありません。
生産性が落ちたからといって、
存在まで否定する必要はありません。
むしろ、
その時間がなければ見えなかったものが、
きっとあるはずです。
最後に
私は「役に立たない自分」を受け入れることは、
諦めではなく、再設計の始まりでした。
今も、これが最適解かどうかは分かりません。
それでも、
しばらくは、この距離感で、
自分と向き合っていこうと思っています。
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