手術を経て、在宅で働きながら子育てをするようになってから、私はこれまでの「父親としての役割」を何度も考え直すようになりました。
家族の姿が見えない場所で長く働き、帰宅したときには子どもは寝ている。
そんな働き方が“当たり前”だった頃とは、見える景色がまったく違っています。
今は、在宅で仕事をしながら、子どもの声が聞こえる。
一緒に朝ごはんを食べて、保育園に送って、夕方には顔を見る。
そんな日常の中で、「父親って本当は何をすべきなんだろう」と自分に問い続けるようになりました。
父親は「外で稼ぐ人」だった時代は終わった
長時間働き、家計を支えることが“父親の役割”とされてきた時代がありました。
でも、共働きが当たり前になり、家計も育児も夫婦で担う時代になった今、
単純に「稼ぐ=父の役割」とは言い切れないと思っています。
ただ、長く昭和的な働き方の中にいた私には、その価値観を手放すまで少し時間がかかった。
「父親は外で稼ぐ人」という思い込みは、自分でも驚くほど根強かった。
むしろ、収入の大小だけでは測れない“家族の価値”が、確かに存在する。
- 朝、子どもの準備を手伝うこと
- 送り迎えを分担すること
- ごはんを作る、片付けをする
- 家庭の空気を整える
どれも、今日の家族を支えるれっきとした「役割」です。
そしてこの役割は、母だから、父だからと分ける時代ではもうありません。
病気と向き合って分かった、「家庭の時間は誰かの犠牲で成り立っている」
病気をしてから気づいたことがあります。
家族の時間というのは、必ず誰かの“見えない負担”の上に成り立っています。
私が痛みで動けない日に、妻がワンオペで子どもを見てくれた日もあります。
私が寝込んでいる間、家の空気を整えてくれたのも妻でした。
共働きであっても、体調や仕事の状況で「どちらかに寄せる」期間は必ず出てくる。
そして、それを夫婦でどう支え合うかが、共働き家庭の本質なんだと感じています。
父親として、「任せっきりにしない姿勢」は絶対に必要です。
完璧でなくていい。
でも、家庭が回るということは、必ず誰かが支えている。
その視点だけは、忘れないようにしたいと思っています。
正直、私はかつて“任せきりの側”にいました。仕事を理由に、家庭の負担を見ないふりをしていた時期があります。
子どもの記憶に残るのは、「何をしたか」ではなく「そこにいた父親」
私は、長時間労働をしていた頃、家族と過ごす時間がほとんどありませんでした。
でも、子どもはそれでも父親のことをちゃんと覚えているんですよね。
「お父さん、入院がんばってね」と言ってくれた、あの日の小さな声。
あれは、私が“父親としてそこにいた”という証拠でもあります。
子どもにとって大事なのは、
豪華な旅行や特別なイベントではなく、
父親が日常の中にどれだけ存在していたかだと感じます。
一緒に遊べない日があってもいい。
痛みで横になっている日があってもいい。
でも、子どもは“父親の気配”をちゃんと感じ取っています。
共働きの今、父親が持つべき視点は「家族全体で生きていく」という感覚
共働き時代の父親に必要なのは、
“稼ぐ役割”“家事をする役割”のどちらでもなく、もっと大きな視点です。
「家族全体がどうしたら生きやすくなるか」を考えること。
・誰がどの仕事が得意か
・体調や仕事量でどう負荷を調整するか
・育児の時間をどう確保するか
・どこで助け合うか
これを夫婦で共有しながら、家族単位で最適化していく。
それが、今の時代の“父親の役割”なのだと思っています。
父親は、家族の“調整役”にもなれる。
家庭の雰囲気を整える“安定装置”にもなれる。
収入だけで測れない価値が、そこにはたくさんあります。
私がこれから担いたい、父親としての役割
正直、私はまだ「理想の父親」には程遠いと思っています。
痛みが強い日は何もできないし、動けずに一日を終える日もある。
でも、それでもいい。
“できる時はできるだけやる”。
この姿勢だけは忘れずにいたいと思っています。
- 子どもと過ごす時間を大切にする
- 妻の負担を見て見ぬふりをしない
- 家族が過ごしやすい空気をつくる
- 無理をしない、でも任せきりにしない
この積み重ねが、これからの家庭をつくると信じています。
最後に
共働き時代の父親の役割は、ひとつではありません。
収入でも、家事量でも測れません。
“家族全体で生きる”という視点に立って、
できることを、できるペースで重ねていく。
それが、今の私にとっての父親像です。
