手術を終えて、家に戻ったとき。
「元気になってよかったね」
「また前みたいに一緒に遊べるね」
そんな言葉をかけてもらうことが増えました。
けれど実際には、
痛みがゼロになったわけでもなく、体力も以前のようには戻らない。
それでも、日常は待ってくれない。
子どもはいつも通り、朝には「おはよー」と走ってくるし、夜には「おとうさん、これ見て」と寝る前のおしゃべりが始まる。
退院してようやく気づいたのは、
病気で一番怖かったのは“健康を失うこと”ではなく、子どもとの毎日が消えてしまうことだった。
“今日の一日”の重さが、病気を経て変わった
手術前、働いていた頃の私は、
「帰ったら一緒に遊べるかな」
「時間があれば、週末どこか出かけよう」
そんな“後でできること”ばかりを考えていました。
でも、病気をしてみて分かった。
明日は来るようで、来ない日もある。
“当たり前”は思っている以上に脆い。
そして、子どもは待ったなしで成長していく。
そのスピードに、術後の私は追いつけない日もあった。
病気になって初めて、
今日の一日がどれだけ貴重か
その意味が変わりました。
子どもの何気ない行動が、心を支えてくれる
朝、痛みで動けず、布団からなかなか起き上がれない日がある。
そんな私の横に、息子が小さな足音で近づいてくる。
「おとうさん、起きれないの?」
「じゃあ、僕が手を引いてあげる」
その言葉だけで、体が少し軽くなる。
子どもは、痛みの深さなんて知らない。
でも、“困ってるおとうさん”を本能で助けようとしてくれる。
この小さな優しさが、術後のつらい時期の私の支えでした。
遊べない日がある。それでも「そばにいる」だけで十分だった
子どもと公園に行く日は、私にとっても嬉しい時間。
でも、痛みが強い日は外に出られない。
動けず、横になりながら
「今日は遊べなくてごめん」
そう心の中でつぶやいた日も少なくない。
すると息子は、
「じゃあ、家で遊べばいいよ」
「おとうさんは寝ころんでていいよ」
と、おもちゃを持ってきてくれる。
あの日気づいた。
子どもにとって必要なのは、“完璧な父親”じゃなくて“そばにいる父親”。
動けなくても、体が万全じゃなくても、そこにいるだけで十分だった。
働き方を変えた理由も、結局は“子どもとの時間”だった
会社員の頃の私は、
「もっと稼げるようにならないと」
「家族を守るには働き続けないと」
と自分を追い込んでいた。
でも、手術の痛みとリハビリの日々の中で、価値観が変わった。
手術の痛みや、息子の小さな優しさに触れるたび、心の優先順位が変わっていった。
守るべきは“収入”じゃなく、守りたいのは “この子との日々や未来” だった。
だから働き方を選び直した。
フリーランスになったのも、在宅で働くことを決めたのも、
突き詰めれば理由はひとつ。
子どもとの毎日を、ちゃんと受け取りながら生きたかったから。
「先のことばかり」考えていた頃の自分に伝えたい
手術後のリハビリは痛いし、思うように動けない。
薬の副作用でふらついて転びそうになる日もある。
でも、そんな時に手を握ってくれるのは、いつだって子どもだった。
だから今は、
遠い未来ばかり見ないようにしています。
10年後、20年後のために今を犠牲にするのではなく、
“今日の子どもとの時間”をちゃんと味わう生き方をしたい。
病気が教えてくれたのは、
人生には「後回しにしていい時間」と「絶対に後回しにしてはいけない時間」があるということ。
私にとって後者は、迷いなく 子どもとの毎日 でした。
“父親としての原点”を、病気が思い出させてくれた
今の私は、完璧ではありません。
痛みもあるし、仕事量も制限しないとできない。
でも、子どもと過ごす時間には、以前より強い意味がある。
●朝の「いってらっしゃい」
●寝る前の「きょうね、こんなことがあったよ」
● 一緒に笑った小さな瞬間
どれも、病気になる前は流れていった時間だった。
父親としての原点とは、
どれだけ一緒にいられるかより、どれだけ“ちゃんと向き合えるか”。
病気は、多くのものを奪ったけれど、
その原点だけは、取り戻すきっかけをくれた。
最後に
退院したから終わりではない。
痛みが残る生活の中で、できないことも確かにある。
それでも、子どもとの毎日は戻ってきた。
その毎日があるから、働き続けられるし、生きていける。
病気にならなければ気づけなかったこと。
それは、
人生で一番守りたいものは、結局この子との“平凡な日常”だった。
病気は、それをもう一度抱きしめるきっかけになった。
