脊髄腫瘍の手術から再び走れるようになるまで|失われた足の感覚と向き合った日々

「もう一度、走りたい」──その思いだけで、私は毎日歩き続けました。
脊髄腫瘍の手術を受け、失われた足の感覚と向き合った数か月。
痛みと希望が交錯した、私の回復までの記録です。

目次

手術を決めるまでの葛藤と覚悟

胸椎の脊髄腫瘍と診断された日

「腫瘍が脊髄を圧迫しています。
手術をしなければ、下半身が麻痺して車椅子生活になる可能性があります。」

医師からそう告げられた瞬間、頭が真っ白になりました。
胸椎の脊髄腫瘍。痛みは日に日に強くなり、咳をするだけで激痛が走る。
もう、痛みに耐える生活に限界を感じていました。

幸い、執刀医はこの分野のスペシャリスト。
「この先生に任せれば大丈夫だ」と信じるしかありませんでした。
不安よりも「一刻も早く取ってほしい」という気持ちのほうが強かったです。

痛みとの闘い、そして「なるようになれ」と決めた瞬間

ただ一つ、怖かったのは──
手術後に残るかもしれない麻痺や痛み。
胸から下の感覚がどうなるかは、誰にも分かりませんでした。

でも、手術をしなければ車椅子生活になる。
選択肢は一つしかありませんでした。
「なるようになれ」。
その言葉を胸に、手術室へ向かいました。


手術後に直面した現実

左足が動かない──リハビリ初日の衝撃

手術は無事に終わりました。
けれど、目を覚ました時、左足がまったく動かないことに気づきました。
感覚がない。動かそうとしてもピクリとも反応しない。

リハビリが始まっても、思うように動かない体に何度も心が折れました。
階段の下りでは、足が自分の思った位置に出ない。
反復横跳びをすれば、左に跳んだ瞬間に体が傾き、支えきれずに崩れそうになる。

クレーンゲームのような感覚と、失われたバランス感覚

まるでクレーンゲームで自分の足を遠隔操作しているような感覚。
そんな毎日が続きました。

電車では揺れに耐えられず、吊り革を持たないと立っていられない。
「今までのような普通の生活に戻れるのだろうか」
そんな不安が頭から離れませんでした。


「元気そうに見えるね」と言われるたびに

見た目の回復と、誰にも見えない痛み

退院して1か月ほど経った頃、
見た目にはもう“普通の人”と見えるようになっていました。
補助具や杖もなく歩ける。
でも、階段や坂道では左足が思うように動かず、信号が急に黄色になっても走ることはできない。

それでも、外で会う人からは
「元気そうやね」「もう大丈夫そうやね」と言われる。
顔色も良いし、食欲もある。
確かに“健康そう”に見えるのかもしれません。

社会に戻る怖さと、他人の目とのギャップ

けれど、心の中では少し複雑でした。
見た目には分からなくても、今も神経の痛み・痺れ・麻痺やバランス体感の悪さが残っている。
体のあちこにに、誰にも見えない痛みがある。
いわゆる後遺症というものです。

世の中には、装具をつけていなくても苦しんでいる人がたくさんいる。
その気持ちを、身をもって知りました。


回復の兆しと希望のランニング

公園で始めた歩行練習

退院後、毎日のように公園へ行きました。
歩く練習を、ただひたすらに続ける。
もともとマラソンをやっていたので体力に自信はあった。
しかし、30分歩くだけで足が疲れて、左足に力が入らなくなってくる。

けれど、毎日少しずつ時間や距離を伸ばしていくうちに、
ふと「少し走ってみよう」と思った日がありました。

「3歩、5歩、10歩」──少しずつ取り戻した足の感覚

最初は3歩。すぐによろけて転びそうになった。
でも、次の日は5歩、10歩と、走る距離が少しずつ伸びていきました。

走ると言うと語弊があるかもしれませんが、走るように連続して足を動かし、
常に片足が地面を蹴って浮いた状態になることが出来たのです。

ある時、「これは練習次第で何とかなるかもしれない」と感じた瞬間でした。
それからは、希望が現実に変わるスピードが少しずつ早くなっていった気がします。

なぜなら、前みたいに走れるように絶対になってやると、練習する時間も距離も
更に伸ばしていってたからです。

1kmから5kmへ、走れる喜びと小さな自信

1km、2kmと距離を伸ばし、今では5kmを安定して走れるようになりました。
日によって調子の波はありますが、
走るたびに「ここまで戻れたんだ」と思えるようになった。

今では、調子のよい日は8kmくらい走れる日があります。それでも、今までは10km走るのが
日課だったことを考えると、全然出来ていないのです。

厳しい言い方をすると、1年もかけたのに10km走れないのです。
今までの自分からすると考えられない。

でも、一つ間違っていたら全く歩けなかったかもしれない。
走れる距離を延ばすことは、自分の努力で何となかると思って、今も諦めることなく
続けています。

直ぐに無理かもしれませんが、いつかフルマラソン、いやもっと欲を言うと
トレイルランニングやウルトラマラソンの世界に戻ることが今の自分のささやかな夢です。


見えない痛みと共に生きるということ

痛みがあるからこそ気づけたこと

今でも、完全に元通りではありません。
股関節に力が入らなくなる時もあるし、しびれ、痛みは常にあります。
でも、痛みと共に生きることに慣れたという方が近いのかもしれません。

同じように生きる誰かへ伝えたい思い

「元気そうに見えるね」と言われるたびに、あの日の自分を思い出します。
そして、同じように“見えない痛み”を抱えながら頑張っている人たちがいることも。

見えない病気と生きるというのは、
決して悲しいことばかりではありません。
苦しみの中でしか見えない希望が、確かにある。

今日も5kmのランニングを終えて、
「まだいける」と思えた瞬間、
あの手術の日の自分に少しだけ“勝てた”気がしました。

諦めない気持ちを持つことで、昨日の自分を超えることができる。
私は、今日も昨日の自分を超える為に、1歩でも2歩でも少しでも遠くまで
走ることを決して止めることはないだろう。

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この記事を書いた人

会計事務所、事業会社で税務・経理の仕事に従事していました。
40代で脊髄腫瘍になり、手術・リハビリをしつつ、現在はフリーランスで仕事をしています。