術前:痛みが不安を超えた日|脊髄腫瘍の手術を私が“委ねる”と決めた理由

脊髄腫瘍が見つかり、手術が必要だと分かったとき、
本来なら不安や恐怖が押し寄せるはずなのに、
私にはそれを感じる“余裕”がありませんでした。

怖いと思う前に、
“痛み”がすでに人生のすべてを支配していたからです。

この記事では、
手術を決断した日のこと、
痛みが覚悟を超えていった瞬間、
そして医師に自然と“委ねる”ことができた理由を、
当時の気持ちのままに書いています。

目次

手術を決めた日のこと——衝撃と、静かな受け入れ

MRIの結果を見せられたとき、医師は静かにこう言いました。

「腫瘍は2センチほど。放っておくと、下半身が動かなくなる可能性があります。」

その言葉の重さは、今でも鮮明に覚えています。

ただ、先生は慌てる様子もなく、
淡々と、しかし一つ一つ丁寧に状況を説明してくれました。

  • 手術の難易度は高い
  • 後遺症は一部残る可能性がある
  • 腫瘍はおそらく全摘出できる
  • 技術的には問題ない

その説明を聞いたとき、
私は直感的に「この先生に任せて大丈夫だ」と思ったのです。

不思議ですが、
この時点で手術への大きな恐怖はありませんでした。

もちろん一般論として、
「もし失敗したら下半身が動かなくなるのでは?」
「悪性だったらどうしよう」
そんな不安がゼロだったわけではありません。

でもそれ以上に、
“早く手術を終えてほしい”という気持ちの方が圧倒的に強かったのです。


不安よりも先にあった“痛みの現実”

咳だけで背中に突き刺さる痛み

術前の数週間、痛みは本当に地獄のようでした。

咳をした瞬間に背中の奥へ電気が走るような痛み。
寝返りを打つだけで息を呑むほどの苦しさ。
自転車に乗れば激痛。
深呼吸すら怖い。

普通に座っていても痛い。
歩いても、立っても、横になっても痛い。
「逃げ場のない痛み」がずっと続きました。

夜も眠れない日が多かった。

薬が効かず、家でうずくまる日々

ロキソニンも効きにくくなり、
より強い鎮痛薬を処方されても、痛みを抑えきれない日がありました。

術前の数カ月はロキソニンを飲み続けていました。
周囲には「体に良くないから控えた方がいい」と言われましたが、
飲まざるを得ないほど痛みが強かったのです。

未来の身体への影響よりも、
「今日をどう生きるか」の方がはるかに深刻でした。

痛みがピークだった時は、
家の床にうずくまって動けなくなることもありました。

この痛みを抱えて生きていく未来を想像すると、
不安よりも
“今この痛みから解放してほしい”
という気持ちの方が圧倒的に大きかった。

正直に言えば、大げさではなく、
「この痛みのままでは、もう普通の生活を送るのは無理だ」と思うほどでした。


“不安がなかった”のではない。感じる余裕がなかっただけ

通常、手術前には多くの人が不安に飲み込まれます。

後遺症は?
家族は?
仕事は?
お金は?
術後の生活は?

でも、当時の私はそこにたどり着く余裕すらありませんでした。

痛み、排尿・排便の障害、歩行の違和感——
それらが毎日の生活を奪い始めていて、
心に“不安の入る隙間”がなかったのです。

「とにかく早く手術してほしい」
それが正直な気持ちでした。


医師に“委ねる”ことができた理由

私が不安よりも“信頼”を選べたのは、
医師の説明と対応がとても大きかったと思っています。

医師は明確にこう伝えてくれました。

  • 腫瘍が大きくなれば下半身が動かなくなる
  • しかし、今の段階で手術すれば大丈夫
  • この手術は経験がある
  • 技術的な心配はしなくていい

「今やるべきことは腫瘍を取ることです」
という迷いのない言葉。

その冷静さに、私は救われました。

「この先生に任せよう」
自然とそう思えたのです。


手術をお願いしたのは“不安”ではなく“限界”だった

手術は本来、怖いものです。

でも当時の私は、痛みが人生を完全に飲み込み、
手術は“選択”ではなく
“生きるための最低限の救い”になっていました。

「この痛みのままでは生きていけない」
その思いが、私を手術へと押し出したのです。


術前の記事が少ない理由(今、はっきり分かったこと)

私はこれまで術前のことをあまり書いていませんでした。

でも今回改めて文章にして、理由が分かったのです。

術前の私は
“不安で揺れて悩む時間”がなかった。

痛みがすべてを奪い、
文章に残すような迷いや躊躇がほとんどなかったのです。

このブログを見に来てくださっている方は、
きっと「手術と告げられたとき、どんな気持ちになるのか」を知りたくて、調べておられるのだと思います。

ただ、私の経験は正直あまり参考にならないかもしれません。
当時の私は不安や恐怖を冷静に味わう余裕がなく、
そのままの気持ちを書いた結果 “迷い” らしい迷いが存在しなかったからです。

それでも、これだけは伝えたいことがあります。


医師を信じられるかどうか。それがすべてだった

自分の手術を“誰に任せるか”。
その一点が、精神的な支えになりました。

私は初回の診察で約1時間、
入院中も家族と共に1時間以上、
医師が腫瘍の状況、手術方法、難易度、後遺症の可能性まで、
一つ一つ丁寧に説明してくれました。

多くの患者さんを抱えているにもかかわらず、
時間をかけて向き合っていただけたことは、
私にとって本当に大きかった。

その姿勢を見ていると、
自然と
「この先生で良かった」
「お願いします」
という気持ちになれました。

医師を信じられたことで、
不安の大部分はすっと消えていきました。


手術自体より、むしろ“術後”が本当のスタート

手術は怖くないと言えばウソになりますが、
全身麻酔なので、手術台に上がり点滴をされた瞬間に眠りに落ちてしまいます。
次に目を覚ましたときには、すべて終わっています。

そして、
本当の大変さは、その後に始まるのです。

痛み、痺れ、動けない現実、
そこからのリハビリ——。

恐らく私が術前の気持ちを多く書いてこなかったのは、
こうした“術後の現実”があまりにも大きく、
術前の記憶が霞むほどだったからかもしれません。

読んでいる方からすると、
理解しにくい部分かもしれません。
でも
「痛みが不安を超える」
そういうケースも、確かにあります。


読んでくださった方へ

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

術前の心境というのは、人それぞれ違います。
不安で夜も眠れない人もいれば、私のように“不安を感じる余裕すら奪われるほどの痛み”の中で手術を迎える人もいます。

どちらが正しい、どちらが強い――そんな話ではありません。
状況が違えば、感じ方もまったく違うからです。

ただ一つだけ、私自身の経験から確信をもって言えることがあります。

手術は「自分の身体を誰に預けるか」で、心の負担が大きく変わります。

私が術前に大きな迷いを抱かなかったのは、
痛みのせいだけでなく、
「この先生にお願いしたい」と思えたことが、心の底から支えになったからです。

丁寧に説明してくれること。
理解できるまで向き合ってくれること。
こちらの不安を否定せず、受け止めてくれること。

そうした積み重ねが、手術そのものへの恐怖を和らげてくれました。

これから手術を控えている方がこの記事にたどり着いたのだとしたら、
不安をなくす必要はありません。
怖いと思う気持ちも、迷う気持ちも自然なことです。

ただ、どうか――
「この医師なら任せられる」と思える相手と出会えますように。

その信頼が、術前の心を静かに支えてくれるはずです。

そして、手術は終わりではなくスタートです。
私もそこから長く大変な日々が始まりました。
もし術後の生活やリハビリで悩むことがあれば、同じ経験をした一人として、また記事に書いていきたいと思います。

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この記事を書いた人

会計事務所、事業会社で税務・経理の仕事に従事していました。
40代で脊髄腫瘍になり、手術・リハビリをしつつ、現在はフリーランスで仕事をしています。