私は脊髄腫瘍の手術・リハビリを経て、今も後遺症とともに生活しています。
長い療養期間を経て改めて感じたのは、「働く目的は、病気の前と後でまったく変わった」ということです。
今回は、そんな私自身の経験から見えてきた「働く意味の変化」について、お話ししたいと思います。
病気前の働く目的は「安定」と「成果」だった
病気になる前の私は、典型的な“ごく一般的な会社員”でした。
朝から晩まで働き、残業や休日出勤も当たり前。
評価されること、成果を出すことが何よりのモチベーションでした。
「もっと効率的に」「業務以外のことも理解しよう」と自分を追い込みながら働く。
それが“頑張る社会人”の証だと思っていたんです。
でも、あの頃の自分には“余白”が全くありませんでした。
仕事が人生の大半を占め、心も体もすり減っていくのに、それを「普通」だと信じて疑いませんでした。
なぜなら——
「会社員とはこういうもの」だと、刷り込まれていたからです。
病気がくれた“立ち止まる時間”と気づき
そんな私が突然、立ち止まることになったのは、脊髄腫瘍の発覚でした。
手術、入院、リハビリ。
それまで止まることのなかった生活が、強制的に「停止」しました。
最初は、焦りと恐怖しかありません。
「いつ今まで通り働けるだろう」「生活はどう維持しよう」
「術後、元通りに戻るのかな」
そんな不安で、心が押しつぶされそうになりました。
でも、動けない時間の中で気づいたんです。
「自分は、何のためにこんなに働いてきたんだろう?」
「体を壊してまで、得たものはなんだったんだろう?」
評価も、収入も、大切です。
でも、それが“目的”になっていたことに気づいた瞬間、心の中で何かが変わりました。
生きるために働いていたはずが、いつのまにか働くこと自体が目的になっていたのです。
「働く=生きる」ではないと気づいた瞬間
病気のあと、私は働くことを「目的」ではなく「手段」として見直しました。
以前は「働かないと生きていけない」と思っていましたが、今はこう考えています。
働くとは、「自分の生き方を形にする手段」だと。
たとえば今の私は、在宅ワークで経理の仕事をしながら、ブログで文章を書いています。
病気のこと、働き方のこと、制度のこと——すべて、自分の経験が土台になっています。
もし病気をしていなければ、こうした「伝える仕事」には出会っていなかったでしょう。
恐らく、なんの疑いもなく、普通に身を削りながら働いていたはずです。
だからこそ、今は「働けること」そのものに深い感謝を感じています。
そして、働き方そのものを見直すことに意味があると気づきました。
働く目的が「守る」から「伝える」へ変化した理由
かつての私にとって働くことは、家族を守るため、お金を稼ぐための“戦い”でした。
でも今は、少し違います。
「誰かの役に立つために働く」
「自分の言葉で、誰かの心を支える」
そんな“循環のある働き方”に価値を感じています。
病気になって初めて、働くことは「競争」ではなく「貢献」でもあると知りました。
それは小さくてもいい。
一つの記事、一つの言葉が、誰かの明日を少し楽にできるなら、それが仕事の意味になる。
これが、病気を経て私が見つけた“働く目的”です。
フリーランスで見つけた“働く自由”
フリーランスとして働く今、私は会社員時代にはなかった自由を手にしました。
- 体調に合わせて働ける
- 場所を選ばず仕事ができる
- 自分の裁量で時間を使える
もちろん、リスクもあります。
収入が安定しない月もあるし、自己管理も必要です。
でも、その不安よりも「自分で選べる」ことの価値の方が大きい。
会社に縛られず、自分のペースで働けること。
それが、病気を経た私にとって何よりの“再生”でした。
正直、収入は減りました。
病気を恨んだ時期もあります。
また、痛み・痺れ・麻痺だけでは障害者手帳も取れません。
だから、自分では不自由を感じていても、社会的には健常者。
正社員として働けない現実に、葛藤もありました。
でも——
手術から1年経った今、この生き方を選べて良かった。
ようやくそう思えるようになりました。
他人の評価より「自分軸」で働くという選択
以前の私は、働く意味を“他人の評価”に委ねていました。
でも今は、「自分の内側」に軸を置く働き方を心がけています。
誰かに褒められなくても、数字がすぐに伸びなくても、
「これは自分の信念に沿っている」と言える仕事を選ぶ。
それは、病気によって得た一番大きな学びです。
体が思うように動かなくても、心まで止める必要はない。
“できることを、自分のペースで積み重ねる”
——そこにこそ、働く意味があると思うんです。
働く目的を見直す人が増えている今だからこそ
今の日本では、長時間労働や成果主義だけでは語れない時代になっています。
テレワーク、副業、フリーランス… 働き方が多様化する中で、
「何のために働くのか」という問いがより重要になってきました。
病気をきっかけに働き方を見直した私のように、
人生の転機を通じて“働く意味”を再定義する人は、今後ますます増えていくでしょう。
働く目的は、年齢や立場によって変化していい。
むしろ、変わることこそが成長の証だと思います。
まとめ:“働くことで生きる”という新しい目的へ
病気を経て見えたのは、働くことが「生きるための義務」ではなく、
「生き方を表現する行為」だということでした。
今は、働く時間そのものよりも、
その中で「どんな想いで、誰のために働くか」を大切にしています。
もし、あなたが今「働く意味がわからない」と感じているなら、
いったん立ち止まってみてもいい。
働くことは、ただの手段ではなく、あなたの人生そのものです。
病気が私に教えてくれたのは、まさにそのことでした。
病気が奪ったものも多いけれど、与えてくれた気づきはもっと大きかった。
今日も私は、自分のペースで“働くこと”を選びながら生きています。
