
手術と3週間の入院生活――動かなくなった左足と向き合った日々
硬膜内髄外腫と診断された翌月、私は手術を受けるために入院しました。
入院期間は3週間。そこには、これまでにない経験と、多くの気づきが詰まっていました。
「歩いて手術室へ」――想像と違った始まり
数日間の術前検査を終え、いよいよ手術当日。
テレビでよく見るような、「ベッドに寝かされて手術室へ運ばれる」イメージを抱いていましたが、実際には自分の足で歩いて手術室に向かいました。
手術室に入ると、看護師さんが4〜5人ほどで準備を進めており、私はまさに“まな板の上の鯉”のような気持ちに。
麻酔科の先生が点滴を打ち、その部分がじんわりと温かくなったかと思うと、ものの数秒で意識がなくなりました。
手術直後、動かない左足
次に意識を取り戻したのは、手術台の上。主治医の先生の呼びかけで目が覚めました。
目覚めたとき、体は硬直していたのか、全身が激しく痛みました。
「足を動かしてみてください」
そう言われて左足を動かそうとしましたが、股関節から下がまったく動かない。
頭では「動け」と命令しているのに、体がまるで反応しない。
不思議と焦りはありませんでしたが、「このまま動かなかったらどうしよう」という不安が、じわりと広がりました。
「時間が経てば回復しますよ」
そう言ってくれた先生の言葉に、わずかな希望を感じました。
苦しかった術後のHCU
手術は約7時間。背中側から腫瘍へアプローチし、胸側にある腫瘍をなんとか完全に摘出していただいたとのこと。
「本当に感謝しています」――心からそう思いました。
手術後はHCU(高度治療室)に移され、背中のドレーンから出血を排出しながら、仰向けのまま6時間を過ごしました。
体勢を少し変えてもらいながら、翌朝10時までHCUに滞在。
痛み止めの点滴はしてもらっていましたが、正直なところ、一睡もできないほどの痛みが続きました。
眠れない時間、私は仰向けのまま、動かない左足をひたすら“イメージトレーニング”で動かすことに集中していました。
痛みと不安の中で始まったリハビリ
その後、一般病棟に戻ってからも痛みで眠れず、2日間ほとんど寝られませんでした。
背中にはドレーン、尿道にはカテーテル――まだ歩くこともできない状態。
ようやく3日目に少し眠ることができ、その頃からほんのわずかに左足が動き始めました。
看護師さんの肩を借りて立つ練習をすると、足腰が驚くほど弱っていて、なんとか立ち上がるのが精一杯。
マラソンをしていたくらいなので足腰には自信がありましたが、たった数日でここまで変わるものなのかと、自分でも信じられませんでした。
翌日には尿道カテーテルとドレーンが外され、いよいよリハビリが本格的にスタート。
歩行器を使って歩く練習が始まりました。
「階段が怖い」――退院の不安と希望
毎日、作業療法・理学療法を合わせて約2時間、さらに自分で病棟内を歩く練習を2〜3時間行いました。
とくに難しかったのは、左足をコントロールして“持ち上げる”動作――階段の上り下りなどがうまくできません。
退院日も歩行器を使っての移動で、正直「本当に帰れるのか?」という不安がありました。
階段は上れるのか?歩く速度は大丈夫なのか?
遅いながらも、なんとか歩けました。
最後は**「やる量」「根気」「諦めない気持ち」**、それがすべてだと思いました。
普通の食事、普通の生活がうれしい
退院して最初に行ったのは、大好きなお肉を食べに行くこと。
病院食はどうしても味気なくて、久しぶりの外食は、思わずテンションが上がりました。
今まで「当たり前」だと思っていたことが、こんなにも幸せに感じられる。
腫瘍を取らなければ、もしかしたら肩から下がすべて動かなくなっていたかもしれない――そう思うと、ゾッとします。
これからリハビリ本格化へ
歩きはまだ不慣れで、痺れや痛み、麻痺もあります。
でも、「普通に生活できること」に感謝する気持ちが、今は何よりも大きいです。
これからは別の病院で、リハビリが本格的に始まります。
「絶対に元の体に戻す」――あの時、私は強くそう思っていました。