痛みは見えない――脊髄腫瘍術後、在宅フリーランスで働くという選択

フリーランスという選択と、痛みと生きる日々

病気のことを、今日は少し現実的に書いてみようと思います。

私は元々、会社員として経理の仕事をしていました。
けれど、働きながら「何か新しいことに挑戦したい」と思うようになり、思い切って退職。
Pythonやデータ分析を学ぶために、数か月間学生として専念していました。

「また社会に戻ろう」と就職活動を始めた矢先のことでした。
背中の違和感が悪化し、検査の結果、「硬膜内髄外腫」という脊髄の腫瘍が見つかったのです。


仕事と体、どう向き合うか

術後は、通院とリハビリ、そして痛みに耐える日々。
正直、フルタイムで働くのは現実的ではなくなりました。

「フリーランスになる」と決意したわけではありません。
ただ、「今の自分にできることを、できる範囲でやってみよう」――そんな気持ちから、少しずつ仕事を再開しました。

ありがたいことに、昔一緒に働いた仲間が私の体調を気遣って、会計関連の仕事を依頼してくれています。
1つの仕事だけでは生活できないため、今は少しずつ仕事の幅を広げようと奮闘しています。


痛みと、日常のリアル

手術から10か月が経ちました。
動きは徐々に回復してきましたが、「痛み」はなかなか改善しません。

現在は、プレガバリン・チザニジン・リボトリール・メチコバールを服用しています。
痛み止めとしてトラムセット・ロキソニン・セレコキシブも試しましたが、効果が乏しく、今は使用していません。

最近では、有酸素運動やストレッチが唯一痛みを和らげる手段かもしれないと感じています。
ただ、日によってはまったく効かないこともあり、本当に波があります。

背中(肩甲骨)、胸、脚、腹部、足指…
神経にダメージを受けた部分に、痺れや灼熱痛、アロディニア(触れるだけで痛む症状)が残っています。
腹部に力が入りにくく、排便にも時間がかかるようになりました。


「見えない痛み」と向き合うことのつらさ

外からは、私が病気だとはほとんど気づかれません。
歩き方も普通ですし、見た目に麻痺や障害はありません。

でも、内側では今もずっと強い痛みに耐えています。
こうした「見えない痛み」は、人に伝わりにくいのが何よりつらいことです。

かつての私も、健常な頃は「痛みで働けない」と言われても、きっと理解できなかったと思います。


障害者手帳と、医療制度の壁

現在の症状では、障害者手帳の対象にはならないそうです。
「痛み」は主観的で、制度上は評価が難しいのだとか。

例えば、私が唯一効果を感じているロキソニンテープも、保険適用外になる可能性があります。
自費になると、月2万円以上の負担になってしまうかもしれません。

これからは医療費の自己負担増や年金の減額なども現実的に考えなければなりません。
だからこそ、健康の大切さを身に染みて感じます。


神経疼痛の専門病院と再生医療の希望

来月から、神経疼痛専門の病院に通う予定です。
治る保証はありませんが、新たな可能性を探したい。情報がほしい。ただ、それだけです。

また、再生医療についても調べています。
脊髄損傷に対する治療は情報が少なく、費用も350万〜500万円と高額。
けれど、いつか選択肢として持てるように、希望は捨てずにいたいと思っています。


痛みとともに、生きていく

お酒もやめました。
毎日のように飲んでいた私が、薬の影響もあり、今は付き合い程度にしか飲みません。
「アル中かも」と笑っていたのに、不思議とやめられたものです。

こうして文章にしてみると、自分でも改めていろんなことを抱えて生きているなと感じます。
でも、今できることを、今の自分なりにやっていくしかありません。

同じように痛みと闘っている誰かの気持ちに、少しでも寄り添えたら――
そんな想いを込めて、これからも記録を続けていこうと思います。

また走りたい。硬膜内髄外腫の手術から始まったリハビリ生活

痛みと向き合いながら、再び走り出すために

少し話は遡りますが、私は昨年8月に硬膜内髄外腫瘍の手術を受けました。
その後、左足の動きを取り戻すために、現在もリハビリに通い続けています。

長期間にわたる脊髄の圧迫によって神経が損傷し、体幹のバランスが不安定になり、左膝まわりの筋力も落ちてしまいました。
特に「以前のように自然な動きができない」ことが、日常生活にも影響しています。


地道に続けたリハビリと公園での歩行練習

リハビリ施設でのトレーニングに加えて、体調に余裕がある日は、近所の公園でも歩行やジョギングの練習をしていました。
手術から1ヶ月ほど経つと、歩くことは少しずつ回復してきて、**次の目標は「走ること」**になりました。

とはいえ、最初は「走る」というよりも、つまずいて転びそうな動きの繰り返し。
左足で地面を蹴ったあと、うまく前に足を出すことができず、バランスが崩れる感じでした。
でも、それが当時の“全力”だったと思います。


マラソンに再び出るために

「またマラソンのレースに出たい」
そんな目標を胸に、ほぼ毎日1時間ほど練習を続けていました。

2ヶ月ほど経つと、ようやく「走っているような動き」ができるように。
私にとっては、とても大きな変化でした。
とはいえ、長い距離はまだ走れず、そこからさらに練習を重ね、最近ようやく5kmを走れるようになりました。

ただ、それ以上走ろうとすると、左膝や股関節から急に力が抜けてしまいます。
無理をせず、少しずつ距離を延ばしていくつもりです。

フルマラソンへの復帰にはまだ時間がかかりそうですが、焦らずコツコツ続けていきたいと思っています。


今も続く痛みと痺れ

現在も、胸から下には痺れや麻痺、痛みが残ったままです。
とくに痛みは日によって波があり、「今日は我慢できる日だ」と思える日もあれば、「これはちょっと…」というほど辛い日もあります。

正直、痛みから解放される日はいつ来るのか…そんなことを考えてしまうこともあります。


それでも、「また走れた」という実感が、私の支えになっています。
リハビリも、練習も、痛みとの向き合いも、すべてが自分の未来につながっていると信じて、今日もまた一歩ずつ進んでいます。

硬膜内髄外腫で手術・入院・リハビリした私の体験談

手術と3週間の入院生活――動かなくなった左足と向き合った日々

硬膜内髄外腫と診断された翌月、私は手術を受けるために入院しました。
入院期間は3週間。そこには、これまでにない経験と、多くの気づきが詰まっていました。


「歩いて手術室へ」――想像と違った始まり

数日間の術前検査を終え、いよいよ手術当日。
テレビでよく見るような、「ベッドに寝かされて手術室へ運ばれる」イメージを抱いていましたが、実際には自分の足で歩いて手術室に向かいました。

手術室に入ると、看護師さんが4〜5人ほどで準備を進めており、私はまさに“まな板の上の鯉”のような気持ちに。

麻酔科の先生が点滴を打ち、その部分がじんわりと温かくなったかと思うと、ものの数秒で意識がなくなりました。


手術直後、動かない左足

次に意識を取り戻したのは、手術台の上。主治医の先生の呼びかけで目が覚めました。
目覚めたとき、体は硬直していたのか、全身が激しく痛みました。

「足を動かしてみてください」
そう言われて左足を動かそうとしましたが、股関節から下がまったく動かない。

頭では「動け」と命令しているのに、体がまるで反応しない。
不思議と焦りはありませんでしたが、「このまま動かなかったらどうしよう」という不安が、じわりと広がりました。

「時間が経てば回復しますよ」
そう言ってくれた先生の言葉に、わずかな希望を感じました。


苦しかった術後のHCU

手術は約7時間。背中側から腫瘍へアプローチし、胸側にある腫瘍をなんとか完全に摘出していただいたとのこと。
「本当に感謝しています」――心からそう思いました。

手術後はHCU(高度治療室)に移され、背中のドレーンから出血を排出しながら、仰向けのまま6時間を過ごしました。
体勢を少し変えてもらいながら、翌朝10時までHCUに滞在。

痛み止めの点滴はしてもらっていましたが、正直なところ、一睡もできないほどの痛みが続きました。
眠れない時間、私は仰向けのまま、動かない左足をひたすら“イメージトレーニング”で動かすことに集中していました。


痛みと不安の中で始まったリハビリ

その後、一般病棟に戻ってからも痛みで眠れず、2日間ほとんど寝られませんでした。
背中にはドレーン、尿道にはカテーテル――まだ歩くこともできない状態。

ようやく3日目に少し眠ることができ、その頃からほんのわずかに左足が動き始めました。

看護師さんの肩を借りて立つ練習をすると、足腰が驚くほど弱っていて、なんとか立ち上がるのが精一杯。
マラソンをしていたくらいなので足腰には自信がありましたが、たった数日でここまで変わるものなのかと、自分でも信じられませんでした。

翌日には尿道カテーテルとドレーンが外され、いよいよリハビリが本格的にスタート。
歩行器を使って歩く練習が始まりました。


「階段が怖い」――退院の不安と希望

毎日、作業療法・理学療法を合わせて約2時間、さらに自分で病棟内を歩く練習を2〜3時間行いました。
とくに難しかったのは、左足をコントロールして“持ち上げる”動作――階段の上り下りなどがうまくできません。

退院日も歩行器を使っての移動で、正直「本当に帰れるのか?」という不安がありました。
階段は上れるのか?歩く速度は大丈夫なのか?

遅いながらも、なんとか歩けました。
最後は**「やる量」「根気」「諦めない気持ち」**、それがすべてだと思いました。


普通の食事、普通の生活がうれしい

退院して最初に行ったのは、大好きなお肉を食べに行くこと。
病院食はどうしても味気なくて、久しぶりの外食は、思わずテンションが上がりました。

今まで「当たり前」だと思っていたことが、こんなにも幸せに感じられる。
腫瘍を取らなければ、もしかしたら肩から下がすべて動かなくなっていたかもしれない――そう思うと、ゾッとします。


これからリハビリ本格化へ

歩きはまだ不慣れで、痺れや痛み、麻痺もあります。
でも、「普通に生活できること」に感謝する気持ちが、今は何よりも大きいです。

これからは別の病院で、リハビリが本格的に始まります。
「絶対に元の体に戻す」――あの時、私は強くそう思っていました。